シルフドラグーン・0 もう一つのコールサイン (1)

 ノアホープ護衛艦隊第三旗艦ゼビュロシア。ニューフロンティアが誇る五隻の戦艦の内一隻を担う美しい艦だ。飛行中の鷹を思わせるその優美なラインは艦隊随一のものだが、外見の美しさ以上に戦闘艦としても相当に優秀な艦である。ドラグーンを発掘・開発する経緯で得られた一部の技術----永久機関と優れたエネルギー伝達システムによる武装、装甲、推進、その三つを高水準で兼ね備えた外見通りの大怪鳥だ。もちろん戦艦サイズに巨大化した為にドラグーンのような馬鹿げているとすら言える運動性は見込めないが他の二つ、特に火力に関しては目を見張るものがある。
 そしてその力の一端を証明せんとするかの如く、両翼に数多装備された大出力レーザーの砲門が次々と開いていく。その数、六十門。
 そのブリッジにて発射準備が整ったとの声を受け、花の如き赤い唇が冷徹な宣告を発する。
「ゴルゴン、斉射」
「了解。ゴルゴン斉射します」
 巨大な鷹の両翼から一斉に放たれた光の矢。それは一万キロメートル先のMIDASにとって矢どころの話ではなく、巨大なバリスタから撃ち出される丸太の槍のようなものだ。その六十本もの光線が瞬く間に一万キロを駆け抜けノアホープへと押し迫るMIDAS連隊を焼き払い蹂躙していく。
 開発陣は言う。かつて旧地球連合艦隊を壊滅に追いやったMIDASの魔物ジャガーノート。このゼビュロシアにはそれと正面から殴り合い、圧倒するだけの力があると。伊達に護衛艦隊で五隻にしか与えられない数字、その『三』の文字を掲げているわけではない。
「敵機多数の消滅を確認、残存数は七十程度、散開していきます!」
「艦砲射撃で一掃というわけにはいかんか……。済まんな、ガーランド少佐。やはり出番だ」
 ゼビュロシアは無傷だ。だがこれ以上MIDASに接近しては汚染される可能性も高くなる。
 MIDASとの戦闘に於いて戦艦というものはまるで効率的ではない事は地球を奪われてからのたった百年が物語っている。
 一隻を造る為のコスト、運用する為の人員、それを錬成する為の時間、それら全てがMIDASの汚染によって次に活かすことなくただ浪費する為だけのものに変わってしまう。多くの命が一機でも多くのMIDASを滅ぼす為だけに使い捨てられてしまう。
 だがそのMIDASとただ一人闘うことを義務づけられる者達がいる。
『いやいや、何を謝ってんのよ艦長。一連隊が中隊規模になったんだ、楽すぎてあくびが出るくらいさ。ドラグーンR0113サラマンドラ、ラプタードラグーンいつでも行けるぜ』
 モニターに映るその顔はヘルメットのバイザーが照り返す青白い光で隠されているが、自信に裏付けられた不敵な笑顔を浮かべていることが容易に想像できる。
 その顔に向けて、白く細い顎を彩る赤い唇が開いた。
「……サラマンドラの出撃を承認。ルリア、少佐のサポートを」
「了解。カタパルト開放、進路クリアです。御武運を、サルマン少佐」
 小鳥が囀るような白髪のオペレーターの声にドラグナーが二本の指で敬礼、眉尻を切る。そして次の瞬間、猛禽と呼ばれるドラグーンが戦場へと飛び立った。

                          ***

 2412年。地球に破滅が降りてきた。
 外宇宙から飛来したほんの数粒のナノマシンは瞬く間に地球の資源を喰らいながら増殖し、たったの十年で青く美しい星を灰色の死の星へと変えた。
 MIDASと名付けられたそのナノマシンは驚くほど多様な形態を取るが、その根幹となるのは分解型、そして生産型ナノマシンである。
 分解型は太陽光をエネルギーとし取り憑いた物体を分解しながらあらゆる物質を合成、新たなナノマシンを生み出す----つまりは生産型へと変貌を遂げる。そうなってはもう、元には戻れない。機械も、人も。MIDASが増える為の餌となり、餌を狩るMIDASの尖兵として造り替えられる。
 ただ一つの救いはMIDASが可能な限り個体と呼べる形状を取り続けることだろう。傷つき動けぬ味方を喰らい、再構成してでもナノサイズではなく一個体という形にこだわる。駆逐する術はあるように思われた。
 その為に最適な兵器として白羽の矢が立てられたのは他星系にて失われた文明の遺跡より発掘されたロストにしてブラックテクノロジーだ。
 即ち、大多数のMIDASを単機で確実に蒸発せしめる大火力と強力なエネルギーシールドにより驚くべき耐久性を兼ね備えた航宙戦闘機。
 ドラグーンである。
 だがナノマシンの一粒残らず蒸発させない限り永久に増殖を続けるMIDASに対し、ドラグーンがどれだけ強力であろうとも数の圧力を覆すことはできなかった。
 結果当時の地球人類の奮戦も虚しく……人類は外宇宙への逃亡を余儀なくされた。

 そして時代は幾ばくかの時を経て、人類はマザーアース、ニューフロンティアと二つの考え方を持つ陣営に別れた。それぞれの思惑の元にそれぞれの命運をかけて、今もなお眼前に立ち塞がる運命と戦い続けている。

                          ***


 護衛艦隊を率いる五隻の旗艦はまだ竣工したばかりである。
 真新しいゼビュロシアのブリッジではクルー達が虚空に描かれる蒼い航跡を固唾を呑んで見つめている。縦横無尽に飛び回る猛禽が残存するMIDASを易々と蒸発させていく。MIDASに対抗しうる戦闘能力を与えられた五艦が完成する以前と同様に。
 MIDASと闘うに当たり矢面に立つべきは、単機にて圧倒的な戦闘力を誇るドラグーンが最適であるというのはマザーアース、ニューフロンティア両陣営に共通する認識だ。戦艦など費用対効率を考えるとまったく割に合わない。
 ならばなぜ戦艦などに金をかけるのか。
 太陽光が届かないことでMIDASと遭遇する機会自体が少ないということもあるが、それ以上に移民船であるノアホープにはドラグナーを獲得する術がないからだ。ノアホープに住まう一億の民全てを調べてドラグーンを制御する有機コンピューターと適合出来たのはたったの五人。いや、人類全体を見れば五人もいると言うべきで、これはおそらく僥倖なのだろう。だがそれでもMIDASはもちろんのこと、まだ見ぬ脅威からノアホープを守る為には心許ない。一億人を守るべき主戦力がたったの五人しかいないということなのだから。
 楽観はせず万全を期す。闘う為ではなく生き延びる為に。それ故にニューフロンティアは地球を捨てたのだから。
 戦況を示す大きなモニターには一機のドラグーンに駆逐され、消滅していくMIDASが映し出されている。ドラグーンが戦場に到達してから僅か一分。広大な戦闘宙域に広がる七十機近いMIDASがたったそれだけの時間で一掃されていく。ゼビュロシアが誇るエースの活躍にクルーの間から弛緩した空気が漂い始める中、艦長席に座る一人の女だけが厳しく引き締められた藤色の瞳をモニターに向けている。
 ずば抜けた美女だ。どう多く見積もっても三十代半ばでしかない。
 身に纏う白い軍服には左肩を覆う短いマントという僅かな装飾しかないが、丁寧に結い上げた見事な銀髪が彩る彫刻じみて硬質的な美貌と『神の調和』と讃えるべき肢体が相まっていっそ女王のような風格を醸し出している。
 背中の半分も覆わないそのマントの色は紫紺。大佐の証である。戦闘中の艦長席に座り、焦るでなく昂揚するでなく、まして動揺などは一切せず。ただ戦況を見つめ凛としている彼女のたたずまいと左肩を飾る紫紺のマントは、彼女が相当なエリートであるだけでなく真実、実力者であることを伺わせる。だがその神々しいとすら言える風格に反し、どこか背徳的な艶を滲ませた女でもあった。
 エリザベート・イシュタリア。ゼビュロシア艦長である。だが彼女の職責はそれだけではない。五隻の旗艦の艦長を務める者は艦隊司令の補佐を兼任する義務を持つ。すなわち護衛艦隊総司令第三席補佐官という船団全体を見ても非常に重要な職務とそれに見合う権限を与えられているということである。まだ年若く絶世の美貌を誇る彼女がその地位を得たことに色々と陰口を叩かれることはあっても、彼女の持った風格に誰もが納得せざるを得ない。男女を問わず出会った瞬間に膝を折った人間が星の数ほどいる。女王足るべくして生まれてきたと言っても過言ではないのである。
 そのエリザベートはスカートから伸びる針金のような脚を組み、藤色の瞳を未だ厳しく引き締めたままモニターを睨んでいる。そして視線だけをちらと動かし、最早戦闘は終わったと言わんばかりのクルー達を見ると柳眉をひそめた。
 まだ戦闘は終わっていない。あそこでただ一人闘っている者がいる。彼が最後の一機を駆逐し、宙域の安全が確認されるまで自分は戦闘終了を宣言しない。それまで気を抜くことなど論外なのだが詰まるところ、これが護衛艦隊の現状だ。
 実戦経験の不足。これを教育できる者がノアホープにはいない。
 ふいに精一杯笑おうとするモニター越しの母の顔が思い浮かんだ。手を伸ばせば届きそうな場所にいるのに、もう二度と触れられない。近づくことすら許されない。ニューフロンティアという組織が選んだ環境上、闘って死なせてやることもできなかった。
 敵にも出会えない末期のドラグナー。
 その寂しさ、悲しさ、悔しさを真実理解しているのは今の護衛艦隊に一体何人いるのだろう。十を過ぎたばかりの少女が鏡の中に母の顔を見出せるほどの時間が既に過ぎ去り、記録は残っていても記憶は人々の心から消え失せていくばかりだ。
 だがエリザベート自身、注意を喚起することしかできない。知識と経験はまったく別のもので、言葉で全てを伝えることは決して出来ないことなのだ。それでも言い続けなければならない。
「諸君らは何を浮かれている? 気を抜いていい状況ではないはずだが」
 途端に弛緩した空気が引き締まる。管制席の一つでドラグーンを補助していたショートカットの白い頭がびくりと跳ねた。
 エリザベートは視界の端で捉えたその様子だけで、彼女がどんな有様だったのか理解した。というよりも最初から分かっていたことだ。目まぐるしいサルマンの機動になんの情報も出せず、ただ呆然としていたのだろう。
 そんな白い後頭部に向けて、モニターから目を逸らさずに声を掛ける。
「ルリア。あれが我らのエースだ。気落ちしている暇などない、努めて励め」
 一切の色素を持たない女が艦長席に顔を向ける。まだ士官学校を出たばかりの若い女だ。優秀な成績を修めてはいるものの、初めての実戦、それも補助する相手があの男では誰でもそうなる。
 マザーアースをも含めた多くのドラグナーの戦闘データを閲覧できる立場にあるエリザベートから見ても、サルマンはトップクラスだ。彼と肩を並べられる腕前を持つ者はサルマンを除いて現在確認されている四十二人中、五人がせいぜいだろう。その内二人が護衛艦隊第一旗艦のスモーカー・ウルブズ大佐であり、先日ノアホープを去ったシルヴィナだ。シルヴィナを手放したのは痛恨の極みではあるが同時期にこれほどのドラグナーを見出し、残った二人を抱えていられるのはノアホープにとって僥倖と言える。
 そんな男の後方支援を務めるのはルリアにとって荷が勝ちすぎる。経験豊富な者を就けることも出来たが、それでもエリザベートは彼女をこの任に就けている。いずれ上級将校として指揮官に、引いては船団の幹部となるべく教育を受けてきた者に、あえてあの席を与えている。
 MIDASとの戦いにおいて常に矢面に立ち続ける者の戦い振りを肌で感じさせる為に。
 そんな上官の思いを知ってか知らずかルリアは艦長席に向けていた顔を戻し前を向くとその手で思い切り両頬を叩いた。可愛らしくあどけない顔に小さなモミジを張り付け、大きな赤い瞳で端末に向き直ると、猛禽の舞い踊る戦域情報を読み取っていく。レーダーに映る最後のMIDASが駆逐されるのを見て取ると、短く整えられた白い髪を揺らし艦長席を仰ぎ見た。
「サラマンドラの戦闘終了を確認。損害、汚染、共にありません」
 気持ちのこもった少女の顔に内心で口角を吊り上げ、エリザベートは口を開いた。
「ジュドー、進路変更。これより本艦は戦闘宙域を横切り船団へ帰投する。シールド現状維持、索敵厳に。サラマンドラへ帰艦ルートを送信。ニコ、後方の船団に通達だ。シールドを滅菌レベルに引き上げさせろ」
 矢継ぎ早の指示を受け即座にブリッジは動く。そしてすぐに状況を知らせる報告が飛び交う。
「戦闘宙域抜けます」「周辺宙域にMIDAS残存機ありません」「反応二件、滅菌百パーセント完了。シールド異常なし」
「現時刻をもって戦闘終了を宣言、第一種戦闘配備から第三種配備へ移行。家に帰るまでが哨戒だ、気を引き締めて楽にしろ」
 真顔でこんな事を言う上官にクルーの顔が綻んだ。そんな彼らと同様にルリアも張りつめていた表情を弛め上官に振り向く。
「サラマンドラ、帰艦ルートトレース開始。帰艦まで十五分の予定です。到着次第着艦させてよろしいですか?」
「許可する。シャワーを浴びたら私の部屋に来いと伝えろ」
 ルリアの大きな赤い瞳がきらりと光る。面白いものを見つけたとでも言うような目だ。
「……お楽しみ、ですか?」
 その問いかけに複数の耳がピクリと動く。人によっては上官侮辱罪を問いかねない物言いに、ようやくその美貌を綻ばせるとエリザベートは微笑いながら口を開いた。
「非常に残念だがオフィシャルな話だ。私はお楽しみでも一向に構わん----というよりそうしたいのだがな、少佐が嫌がるのさ。命を預かる立場の人間とは関係を持たない主義らしい」
「勿体ない話ですね、艦長にそこまで言われたら他の女性なんて目に入らなくなっても何もおかしくないのに。私が少佐の立場だったら脇目もふらずに艦長を落としますよ」
 面白そうに軽口を叩くルリアに悪戯げに口元を吊り上げる。
「そんな嬉しいことを言っていいのかな? 私は女性もいける口だぞ」
 扇情的に唇を舐める上官を見てルリアの表情が固まった。その顔を見てエリザベートは愉快そうに笑う。
「冗談だルリア。君の綺麗な肌に傷を付けて喜ぶほど無粋じゃない。ブタはやはり男が一番だ。まあ見ていろ。いずれ奴も私の慰み者にしてくれる」
 冗談に聞こえないと溜息をつくルリアに苦笑すると、表情を改め通信士官に顔を向けた。
「そんな事よりも、だ。ニコ、観測部から何か報告は?」
 上官と同僚の会話に笑いを噛み殺していた通信士官が泡を食って振り返る。
「いえ! 平時と変わるようなことは何も」
 のんきな物言いにエリザベートは舌打ちしたい思いに囚われる。MIDASと遭遇する事自体が久しぶりであれば、連隊と呼べる数がいることなど珍しいを通り越して不可解だ。
「一個連隊と呼べる数のMIDASだぞ、それなりの熱源があるはずだ。観測部に問い合わせろ。同じ事を抜かすようなら三席補佐権限で更迭すると言ってやれ」
「……! 了解しました!」
 MIDASが増える為には太陽光、つまり熱源が不可欠だ。熱源があるということは恒星かそれに準ずるものがあるということ、それは居住可能惑星の発見に繋がることでもある。ノアホープは移民探査船なのだ。長距離探査では得られない詳細データの収集も護衛艦隊の任務であるということを今更ながらに思い出したようにクルーの顔が引き締まる。
「我々はMIDASと闘う為だけに組織されているわけではない、小さな報告が船団全体の航行に関わることもある。その小さな積み重ねがこのノアホープを守るということに繋がる。自分の判断で勝手にやれとは言わないが、状況に応じて指示くらいは仰いで欲しいものだな」
「申し訳ありません!」
 直立不動で応え慌ただしく動き始めた士官を横目でチラと見やり、エリザベートは虚空を映すモニターを睨む。だがすぐに通信士官が声を荒げる。
「どうした」
 士官が苦々しげな表情で振り返る。
「二十三時間前、進路上五十億キロメートルに太陽と同等質量の恒星を発見、惑星を保有しないことが確認できた為報告の必要を感じなかったと……」
 クルー達が驚きに息を飲む。エリザの藤色の瞳も半眼に細まった。恒星一つあるだけで船団の航行全てに影響する。現にここにMIDASがいたのだ。それを勝手な判断で報告もされないとあれば誰であろうと苦々しくもなる。
「分かった。こちらに回せ」
 艦長席に据えられたサブモニターに不健康に肥えた神経質そうな眼鏡男が映し出され、突然現れた絶世の美女に眼鏡男は鼻白む。エリザは凍てついた怒気をその美貌に張り付け詰問を始めた。
「艦隊司令三席補佐官、ゼビュロシア艦長のエリザベート・イシュタリア大佐だ。観測部長レイス・ファットマンだな? 今ニコライ伍長から聞かされた報告が事実なら君は我々に報告する義務があったはずだが、本当にあれが理由だというのなら私は君の職務怠慢を行政府に報告しなければならない。なぜ恒星発見の報告を怠った」
 眼鏡男は脂まみれの顔を拭い、ずり落ちる眼鏡を直しながら無駄に胸を張った。
『職務怠慢? 馬鹿馬鹿しい、詰問される理由が分かりませんな。宙域図はリアルタイムで更新されています、それで充分でしょう』
「護衛艦隊の宙域図は職務効率上半径百万キロメートルに固定されている。五十億キロメートル先にある恒星の存在など我々には知り得ない。広域探査と航行計画はそちらの管轄だが、進路上に何らかの危険が予測される場合には直ちに報告する義務がある。それを理解した上で言っているのか?」
『ご存じでしょうが我々は多忙なのです。優れた観測機とシステムが示すその膨大なデータに目を懲らして我々は居住可能惑星を探している。この広大な宇宙に浮かぶ一粒の宝石をね。先にも言いましたが、宙域図はリアルタイムで更新され続けているんです。惑星を持たない恒星の報告などする時間も惜しい。貴女のような美しい女性が男の仕事の邪魔をするなどあってはならないとは思いませんか』
 それぞれの持ち場で聞き耳を立てるクルー達から血の気が失せた。空調によって完全に整えられた空気が温度を下げた気さえする。恐る恐ると仰ぎ見る艦長席ではエリザベートの顔から表情が、瞳から温度が失せていく。艦長から発せられる怒気は凍気を織り交ぜクルーの背筋に冷たいものが疾走った。
「……君は何か勘違いしていないか? 我々は君達観測部の邪魔をしているわけではない。職務上当然の義務を果たせと言っているだけだ。何の為に君らはそこにいる。我らノアホープ船団を安全に導く為ではないのか。もし進路上にブラックホールや中性子星があったとして、君はその報告すらしないのか?」
『馬鹿馬鹿しいことを言わないで貰いたいですな。それとこれでは危険の度合いがまるで違います』
 眼鏡男は煩わしげな態度を隠しもしない。エリザベートの美貌が氷の仮面へと作り替えられていく。
「何がどう違うのだ。たった今この宙域で我々はMIDASと戦闘を行った。一個連隊と呼べるほどの数を揃えたMIDASとな。その可能性があることを示唆するのも君の役目のはずだ。MIDASを排除しノアホープを守る為に我々のドラグナーが一人で闘う羽目になった。報告さえ受けていれば彼に降りかかる危険を廃する手段も執れたのだぞ」
『何を言っているのやら……責任転嫁も甚だしい。MIDASと闘うことこそあなた方の、そしてドラグナーの存在意義でしょう。それを恒星の一つや二つでガタガタと----』
 この言葉にビクビクと艦長を見守っていたクルー達が気色ばむ。正気を疑う発言だ。対峙するエリザベートに至っては最低限保っていた礼節を放り投げた。
「もういい、よく分かった。どうやら貴様が危険に曝したのは一人のドラグナーの命ではなく、このノアホープの未来だということがまったく分かっていないらしい。レイス・ファットマン、三席補佐官の権限に於いて第一級反逆罪で貴様を告訴、投獄する」
『なっ……! 馬鹿なことを言うな! 反逆罪など問われる覚えはない!』
 孤独な航海を続け、完全に自給自足で民を賄えるノアホープでは利潤追求の優先度はそう高くない。故にノアホープに於ける国益とは船団の安全性に他ならず、反逆罪とはその安全性を著しく損なった、あるいは損なう可能性を呼び込んだ者に対して問う非常に重い刑罰だ。第一級ともなれば死刑以外の判決は下らない。
 その肥えた顔をモニターに押しつけんばかりに詰め寄るファットマンに冷たく言い放つ。
「馬鹿者が、観測部長の貴様がMIDASを軽視し襲撃の可能性を示唆しなかった。反逆罪以外の何を問えと言うのだ。どのみちあの規模のMIDASと戦闘を行ったのだ、行政府や艦隊司令達と協議する必要があるのでな。そこで貴様の言い分が通用するか試してみるといい。ゼビュロシア勤務で良かったよ。ブタを可愛がるのは私の趣味だが、貴様の分子が溶けた空気など吸いたくもないな」
 美しい氷の仮面に酷薄とも言える壮絶な微笑みを浮かべ、エリザベートはそれきり通信を切った。
「……エセエリート共が……!」
 醜い肥満顔を苦々しい呟きに乗せ頭から追い払うと先ほどのMIDASのことを考える。
 はぐれものにしては数が多すぎた。小者ばかりだったとはいえMIDASが活性化するにはあまりにもエネルギー総量が足りない。いくら進路上に太陽級の恒星が存在するといっても遙か五十億キロメートルの彼方だ。太陽系で例えれば太陽からおよそ海王星までの距離がある。
 単なるはぐれが偶然まとまっただけか時間をかけて増えたのか、それとも他の要因か。幸い惑星を持たないということなら進路を変えればすむ話だが、どうにも嫌な予感がしていた。
 それではすまないような気が、どうしても。
「サラマンドラ、目視距離に到達。着艦シークエンス開始します」
「分かった。副長、済まんが後は任せる」
 艦長席を立ち、床を蹴ってブリッジの扉へ流れていく。通り抜けざま、機密扉の開閉音を聞きながら口の中で呟いた。
「悪い予感ほど外れないとは誰が言ったんだったかな……縁起でもない」
 マザーアースの請いを受け地球を取り戻す為にこの船団を後にした女性。もう二度と会うことはないその男らしい魂が心から惜しまれた。


 ゼビュロシア自体が竣工したばかりということで艦内のどこも真新しい。出来上がったばかりの最新鋭艦が古ぼけているわけはないのだがそれは艦長室も例に漏れず新品でありピカピカだ。軍艦であるが故に無機的でさほど広くもないが、それでも士官用の個室よりは広めに造られ、綺麗に整理された室内に漂う芳香が早くも主の性別を主張している。
 だが、その身も心もとろけそうな蠱惑的な香りも雰囲気も一人の男によって全てが台無しになっていた。
 サルマンである。
 男らしく整った顔からは上気が抜けておらず、汗まみれの黒い髪はベタベタ、だらしなく開いたパイロットスーツの胸元からは湯気が立っている。
 汗臭い。暑苦しいことこの上ない。上官どころか、同僚や友人を訪れるのにも相応しい格好ではない。
 彼の名誉の為にこの場は擁護するが、普段の彼はその辺をきちんとしている。着替えるのはもちろんだが、人を訪れるのに戦闘直後のままシャワーも浴びず、汗の始末もしないなどサルマンには有り得ない。
 だというのにそのむさ苦しい格好のまま、執務机に収まるエリザの正面に平気で突っ立っている。むしろその様は挑戦的ですらある。
 しかしてその姿を前にしたエリザベートの方といえば。
 細い眉を潜めて眉間に皺を寄せ、厳しくしかめられた絶世の美貌がサルマンを睨め上げている。顔だけ見れば不愉快なのだろうと誰もが判断するだろう。そう、顔だけを見れば。
 だがその藤色に光る切れ長の瞳だけが違った。半眼に潜めたその瞳には微かな期待が浮き上がっている。
「私はシャワーを浴びてから来いと言ったはずだが、それはアレか。私と一緒にシャワーを浴びたいという意思表示か」
 サルマンはエリザベートの戯言を華麗に無視した。いや、華麗とは言い難い。両目を閉じているのは引きつりそうになる目元の震えを抑える為だろう。シャワーなど浴びて出向けば押し倒されかねないのでその対策として身繕いをしなかったわけだが、こういう切り返しをされるとは、どこまでも侮れない女である。
 サルマンはその顔から意識的に表情を消し、黒い瞳を閉じたままぶっきらぼうに口を開いた。
「どーいったゴヨーケンでしょーか?」
「何も遠慮することはないのだぞ? 君に私の趣味を押しつけるつもりはない、君さえ望めば私はいつでも股を開こう。ちなみに未使用だ。ブタを相手にこれを使ってしまうのはいかがなものかと躊躇っている内にこの歳になってしまった。だが女芯が未使用といっても他の手管にはそれなりに自信があるぞ?」
「艦長……?」
「うむ、そうなのだ。まだ裸も他人に見せたことがない。あまり派手なボンテージは好きではなくてな。まったく一体いつからこういった嗜好に目覚めたのかちょっと覚えていないが、私の側には何故かそういう輩ばかりが集まってくるのでついつい楽しくなってしまってな。今ではすっかりその道に染まってしまって、もうそういうブタ共でもいいかもしれんとか思い始めているのだが、やはり普通の行為への憧れも捨てきれない。君には是非とも教えて貰いたいと----」
「艦長」
「そうそう、先日ノアホープに降りた時にこんなものを見つけたのだ、さすがの私もこれには絶句したぞ。知らない者にとっては単なる拷問具、いや使い方すら分からないだろうが私は違う。資源の無駄遣いだと悪態をつきつつ、一目惚れには逆らえなかった。もしもこの道に興味があるのなら君に使ってみたいのだが----」
「艦長帰っていいスか?」
 つれない言葉にエリザベートはじとりと不満げな視線を送ってくるが、サルマンにはそんなものを構っていられない。
「艦長が率先して艦内風紀乱してどうすんですか。そろそろ本題に入って下さい」
「失礼な、公私の区別くらいつけている。今は二人きりで、君がそんな格好で私を誘うから乗ってやっただけではないか」
「誘ってねえから。とっとと本題入ってくれよ女王様」
 もううんざりといったぞんざいな口調に、赤い唇が面白そうに吊り上がる。
「ガーランド少佐? 私は君の上官ではなかったかな? 営巣にぶち込まれたいのか」
「失礼しました、本題をどうぞ」
「そうだろう? 営巣よりもベッドの方がいいだろう?」
「はいはい営巣の方がずっとマシです、だから早く済ませてくれ」
 もう完全に投げやりである。エリザベートはほとほと呆れて溜息をついた。
「まったくそこまで見損なわんでいいだろうに……。男にかまけて判断を損なうような女に見えるか? 結構な侮辱だと思うんだが」
 サルマンは少し驚いた顔をすると、頭を掻きながら苦笑する。そしてそれきり何も言わずその藤色の瞳を見つめた。思いのほか真摯なサルマンの瞳から、心なしか頬を朱く染めエリザベートは目を逸らす。
「そんな目で見つめないで欲しいな、子宮が疼くだろうが。まあいい、お待ちかねの本題だ」
 そう言って向き直った顔からは、一瞬前まで確かにあった人間臭さは微塵もない。ゼビュロシア艦長、そして艦隊司令三席補佐であるエリザベート・イシュタリアの顔だ。
 その顔にサルマンの表情も引き締まる。
「サルマン・ガーランド少佐、現時刻をもって貴官をエストックドラグーンの専属ドラグナーに任命する。かなりの難物のようだが反論は許さん、使いこなせ」
 サルマンはきょとんとした。
「エストックって……ちょっと待ってくれ。そんなものがどこにある?」
 艦砲射撃にすら匹敵する火力を持ち得る第一世代機ギガント、破格の高機動によって永続的な戦闘を可能にした第二世代機ラプターに続く最新鋭機エストックドラグーン。マザーアースが開発した物で、噂に寄れば若干の癖はあるものの優秀な機動性と耐久性を兼ね備えた強力な機体だと聞いている。
 サルマンとてドラグナーだ。興味がない訳がない。戦闘力が高いとかそんなこと以前に新型機を弄り倒して遊びたいという気持ちはあるが、当然の如くエストックはマザーアースの独占である。だがニューフロンティアにしてみればあるに越したことはないが、なければないで構わないものでもあるのだ。何故そんなものが出てくるのか、当然の疑問であった。
 その問いにエリザベートは一見表情は変えなかった。
「反論は許さんと言った」
「反論じゃないだろ、ないものにどうやって乗れって言うんだ」
「一番艦のウルブズ大佐のおさがりさ、新品のな。そろそろ格納庫に届く頃だ、黙って乗れ」
 サルマンは目を剥いた。ノアホープ船団がエストックを開発していたなどという話も、第一旗艦アイギースのドラグナー、スモーカー・ウルブズがエストックを受領していたなどという話も聞いた事がない。艦隊に所属するドラグナーに対し、開発を秘匿する理由はどこにもない。つまりごく最近現物を手に入れ、それがあの髭面狼の手に渡っていた事になる。
 だがマザーアースからわざわざ現物を購入するなど考えにくい。ありとあらゆる面で手間やコストがかかり、僅かとはいえ輸送時のリスクすらある。それ故にその手の取引はデータのやり取りで行うのが常識だ。第一、エストックのような強力な機体を一機でも多く欲しているのはマザーアースの方であり、重ねて言うがニューフロンティアに属するノアホープにはあえて手に入れる必要はない代物なのである。
 そう、タダでもない限り。
 エリザベートの表情は変わらず、冷たさすら感じるほど怜悧なものだ。だがその表情に一抹の違和感を覚える。
「ひょっとして……シルヴィナの代わりのつもりか?」
 ほんの僅か、エリザベートの瞼が震えた。
「あんたらバカか!? あいつ以上のドラグナーがどこに居るんだ!! 機械如きと引き替えになんかしやがって!! あんたらが強硬手段でも執っていればあいつはっ!」
 激昂していたサルマンが我に返ったかのように言葉を切る。
 サルマンが自分で押しつけた約束なのだ。これ以上続けてはならない。言葉に出してはならない。自分だけでも信じなくてはならない。
 エリザベートはそんなサルマンの様子に僅かに目を見開き感心したように口を開いた。
「惚れられては困るのだろう? 男ぶりを見せつけるべきではないのではないか?」
「……どこが男ぶりだよ、格好悪いったらないだろうが。まあいい、話は分かった。直ちにエストックを受領する」
 そう言うとサルマンは踵を返す。意外なほど肩を落としている自分を自覚する。自らの言葉通り格好悪いったらないと内心で自嘲していた。
「……言い訳をさせて貰えば」
 引き留めるように背中にかけられた低い美声にサルマンは立ち止まる。振り返らないその背中に向けてエリザベートは言葉を続けた。
「我々は軍隊だ。比較的自由が与えられていると言ってもニューフロンティアではドラグナーとて一介の軍人にすぎない。我ら上層部が許可しなければ大尉は手も足も出なかっただろう。だが我々には大尉をくれてやる以外に方法がなかった。連中は大尉と話をつけた上でこちらに話を持ってきた。その上でごねるようなら相互技術提携を打ち切ると言ってきた。情けない話だが我らはドラグーン技術において連中に後れを取っている。その見返りに我々は航法関連技術を提供してきたが、太陽系内での行動が基本の連中にとってそれはさほど重要ではなくなってきているのだ。あとは自分達でやればいい話だからな。だが我々にはまだ連中の技術が必要なのだ。宇宙を征く者にとってあらゆるものに応用が利く技術だからな。我々が足を進めれば進めるほどデータのやり取りはますます難しくなる。アップデートの頻度が落ちるのは避けねばならない。自力でやっていくしかなくなる瞬間まで、吸い出せるものは残さず吸い出さねばならない。そう理解していても、高すぎる買い物だったと思うよ」
 その声は淡々としていながらどこか苦い。その僅かな苦みが今のサルマンには痛かった。
 サルマンは振り返らず、背を向けたまま言葉を返す。
「なあ艦長。あいつにも……エストックは渡るんだろ?」
「間違いないだろう。あの作戦で連中がそうしない理由を探す方が難しい」
「なら一つだけ、許可が欲しい」
「……なんだ?」
「俺の搭乗データ……、マニュアル代わりにあいつに送ってやりたい。エストックはまともに乗れたヤツがほとんどいないらしいし、俺とあいつの感覚は似てるからな。少しでも力になりたいんだ。ゴミだらけの太陽系内に届くか知れたもんじゃないが……」
 エリザの眉根が僅かに潜められる。寂しげなサルマンの背を少しの間見つめていたが、かすかな溜め息を漏らし答えた。
「手配しておこう。機密には違いないが敵対組織というわけでもない。想いを違えたとはいえ連中も我々の同胞だ、評議会も反対はすまい。恩を売る材料にもなるだろうしな」
 サルマンは背中越しに感謝の目を向けると心なしか肩を落としたまま、艦長室を出て行く。
 外に出ると匂いのしない艦内の空気が鼻についた。
 帰ってこいと言ったのは自分だ。信じ切れていなかった分際で女に当たるなんてどれだけ無様だ。
 扉の外の無粋なまでの無臭がやけに忌々しかった。
鉄坊
2011/07/22(金)
04:01:27 公開
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■作者からのコメント
やっとUpできました……。
裏付けがグダグダなのでお叱りがありましたら遠慮なくどうぞ。

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