負けないで
 それは月の綺麗な夜だった、と言いたい所ですが、生憎とその日は土砂降りの大雨でした。
まるで、これからやってくる何か不吉なものを予言するかのような、濁り切った曇天から降り注ぐ大量の雨は、ヒトの体からあっという間に体温を奪っていきました。
とはいえ、その雨に打たれていたのは、風邪を引かない私と、風邪を引いても無視しそうな彼女だけ。
だから、聞こえたのは雨音と、彼女の声だけ。
ぐっしょり濡れたマントを脱ごうともせず、傍の石の上に腰掛けた彼女は、詩のようなものを呟いていました。

「雨ニモマケズ
 風ニモマケズ
 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
 丈夫ナカラダヲモチ
 慾ハナク
 決シテ瞋ラズ
 イツモシヅカニワラッテヰル・・・・・・」

 不思議と、自信が沸いてくるような詩に、私は彼女向かい側の石に腰掛けて、黙って耳を傾けました。

「東ニ病気ノコドモアレバ
 行ッテ看病シテヤリ
 西ニツカレタ母アレバ
 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
 南ニ死ニサウナ人アレバ
 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
 北ニケンクヮヤソショウガアレバ
 ツマラナイカラヤメロトイヒ・・・・・・」

 彼女の頬を流れたのは、雨だけだったのでしょうか?
 私の頬を流れたのも、雨だけだったのでしょうか?

「ヒデリノトキハナミダヲナガシ
 サムサノナツハオロオロアルキ
 ミンナニデクノボートヨバレ
 ホメラレモセズ
 クニモサレズ
 サウイフモノニ
 ワタシハナリタイ・・・・・・」

 旱の時は涙を流し。
 寒さの夏はおろおろ歩き。
 皆にでくのぼうと呼ばれ。
 褒められもせず。
 苦にもされず。
 そういう者に。
 私はなりたい―――・・・・・・。

「宮澤賢治の『雨ニモマケズ』っていうんだ」
 彼女は、私の方を向いて笑いました。普段の彼女らしからぬ、何処か寂しそうな笑顔でした。

「『雨ニモマケズ』・・・・・・」
「そう。私がもといた世界の、有名な詩だよ」
「ミヤザワケンジ・・・・・・馴染みの無い名前の響きだと思えば、そういう事ですか」
 そこで私は一呼吸置いて、感想を言おうとしました。
「でも、こんなの奇麗事です」

 言ってから、その台詞に自分で驚きました。
 驚いているのに、汚い言葉が次々と吐き出されました。

「奇麗事です・・・・・・絵空事です!」

 陰鬱な気分を振り払いたくて、私は立ち上がりました。
 さっきまでいい詩だと思っていた内容が、どす黒い何かに染まっていき、私の口から吐き出されます。

「私達は・・・・・・負けます。雨にも風にも、簡単に負けちゃいますよ!欲しい物だって沢山あります!嫌な事があったら怒っちゃいます!そんな私達が、静かに笑えるわけ無い!」
 何でこんな事を言っているのかすら分からなくて。
 何に怒っているのかすらも理解できずに。
 私は、ただその勢いに任せて全てを吐き出してしまいました。

「でくのぼうとか言われて満足ですか!?褒められる事も苦にされる事も無い人間になってどうするんですか!?そんなのただの―――」
「怖いの?」

 凛とした声が、私の言葉を遮りました。
 彼女は、澄んだ目を私に向け、それから背後を見ました。
 そこには、決して滅ぼさせてはならない村があります。
 そして、ウリユさんの予言通りに事が進めば、シイルに住む皆さんは明日の朝日を見る事が出来ません。
 一夜にして村ひとつ滅ぼす、強力な力を持つ魔物。
 それを待ち伏せる、私達。

「怖くないわけ・・・・・・無いじゃないですか・・・・・・!!」

 怖いです。
 今まで、この世界の危機は何度も見てきました。
 でも、その危機の最中にいた事は無かった・・・・・・。
 今では人の体を持つ私は、彼女のサポートをするにはトーテムでいる頃に比べ何倍も有利です。
 ですが、今の私なら普通の人でも殺せる。
 相手が強力な魔物なら、尚更。
 ナナシさんと同じく、15回まで復活できるとはいえ、15回以後は死ぬ。
 死から逃れる事が出来ていた私が、死を受けられるようになった途端恐怖するのは、おかしいでしょうか?

「ナナシさんは・・・・・・怖くないんですか?」
 そう尋ねると、ナナシさんは、
「怖いよ」
 と即答しました。

「怖いから詠うの。負けない詩を。負けたくないと願う詩を。
 勝ちたいと願っちゃいけないわ。人は雨には勝てないし、風にも勝てない。
 それでも雨に負けずに歩く事は出来るし、風に負けず立ち上がる事は出来るのよ。
 雨に負けず歩いても、風に負けず立ち上がっても、いつかは力尽き負けるかもしれない。
 それでも、今この時に負けない事はとても大事で、尊い事だと思う!」

 突然声を荒げると、ナナシさんも立ち上がりました。

「でくのぼうと呼ばれて、褒められる事も苦にされる事も無いような人間になったから何?それで人生は終わるの?いいえ、東西南北困ってる人を助けて回れるような人の人生は終わるどころか輝いているわ!」

 その通りだと思うのに、素直にそうですねといえない。
 私は、何処まで頑固者なのでしょう。普段はこんな性格じゃないのに。

「それでも・・・・・・世の中は認めてくれません。周りからは・・・・・・自己満足にしか、見えません・・・・・・ッ!!」
「世の中の人に認められる為に戦ってるわけじゃないから大丈夫よ」

 それも即答でした。
 それで私は、ナナシさんに完敗しました。
 ケチをつけたいだけだった、というのは、とっくの昔に気付かれているんでしょうね。
「・・・・・・すみません」

 私の覚悟は固まりました。
 勝たなくてもいい。でも、負けてはいけない。

「・・・・・・着たわ」

 雨音の中に、微かな足音と、大きな金属音が混じり始めました。
 先頭に立つのは、灰色の肌のトカゲ人間。後に続くのは、褐色のトカゲ人間。
 灰色のが、聞きます。

「たった2人で何か出来ると思っているのか?」
 出来るわけ無いだろう、と言わんばかりに。
「・・・・・・殺せ」
 命じる。
 その命を受け、6人のトカゲ兵士が走ってきました。

「・・・・・・ねえ、スケイル」
「どうしました?」
「人間は、何でこの世に生まれたと思う?」
「こんな時に哲学ですか?」
「いいから答えてよ」
「・・・・・・生きる、ため?」
「生まれなきゃ生きられないわよそりゃ」
「うー、そんなの分かりません」

 軽口を叩き合い、互いのモチベーションを高めあう。
 いつもやっていた事ですが、今日のナナシさんは最後は真剣な顔つきになって言いました。

「宮澤賢治はその質問に、こう答えてるわ」

 それから間を置いて、神託でも伝えるかのように、
 
「『人間はなぜ生きるかということを知らなければならないために、この世に生まれてきたのです』・・・・・・って」
「・・・・・・じゃあ」
「うん。知ってない私達は死ねないわね」
「・・・・・・ハードですねえ。負けても死んでもいけないなんて」
「相打ちも禁止って事ね。ま、達成するのは簡単だけど」
「どうするんですか?」
「勝てばいいのよ」
「自己矛盾だらけですよ!?」

 シリアスな会話かと思ったら、急に突っ込ませるんですから。
 でも、これはこれで、楽しい。
 こんな楽しい事を捨て置いて、私は死ねません。

「行くわよ、スケイル!」
「はい、ナナシさん!」

 私達も、トカゲ兵士達に向かって駆け出しました。
なぎ
2008/01/25(金)
22:02:43 公開
■この作品の著作権はなぎさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのコメント
 こちらでははじめまして。はい。「文学を多用した感動モノの短編」を目指して玉砕した物書きです。
 使用させていただいたのは、ご存知宮澤賢治の「雨ニモマケズ」。作業中のBGMは「敗れし少年の歌へる」です。どちらも素晴らしいので是非是非。
 改めて読み直してみると・・・・・・なんか説教っぽい(苦笑 そして説教っぽい割に伝えたい事は明確になってません(汗 精進します。
 以下補足説明。ろくに推敲もしてないので分かり辛いかもしれませんが、対魔王inシイル直前のナナシとスケイルの会話を、スケイル視点で書いてみたものです。「15回〜」の辺りはオリジ設定で、本編では確か主人公が15回死んだ場合のトーテムの行方は不明。シル見等を見ると多分トーテムは死なないっぽいですよねorz

 稚拙な文章ですが、感想等ありましたらお聞かせ下さい。(××は○○した方がいい、等ありましたらそれも)
 それでは失礼します。

この作品の感想をお寄せください。
どうも凪さん。「負けないで」拝見しました。

いいですね、この、追い詰められた緊張感の中、詩を諳んじるナナシ。
カッコ可愛い、そしてスケイルの感情にも共感を抱きました。

今後も頑張ってください。それでは駄文ですがこれにて。もげでした。
Name: もげ
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■2008-02-05 16:18
ID : hwLoCx5z0JQ
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