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7997
『一日一話で綴るシルフェイド幻想譚』 4日目 by もナウ 2008/07/06 (Sun) 11:38
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【??:??】


 鳥になった夢を見た。


 私は翼を大きく左右に広げ、際限無い蒼色のなかを緩やかに滑空していく。
 遠く望める大地は不自然に切り取られ、
 空中に浮遊する周囲の離島を巻き込んで雄々しく佇んでいた。

 羽毛のような緑草の大地。
 生命に色づけされた森林。
 力強く立ち並ぶ山々。

 景観に非の打ちどころなどなかった。
 潤沢に湧き出づる清水は穏やかに大地を潤し、
 川となり湖となり、やがて滝となって世界の果てへと流れ落ちていく。


 満たされた場所だった。

 表層的深層的に紛うことなき楽園がそこにあった。


 セカイという名の。


 鳥瞰の故か、浮遊する孤島はよく出来た牢獄のようで。


 夢見る私はそこに刹那の神意を悟る。



 鳥は何処へでも飛んでいけるのだ。


 迫り来る一切を翼にして――――――





【6:00】


 その日の目覚めは唐突にやってきた。

 最初に、瞼越しにでもわかる強烈な光。次いで村人たちの大仰なザワメキ。
 当然のように覚醒した意識は、ほとんど条件反射的に自身を宿の外へ連れ出した。


 何が起こったのか、村人たちもよくわかってはいないようだった。
 しかし完全に予期せぬ異変に動揺している風でもなく、騒めきは興奮を含んだそれで。


「時の扉……? 救世主……?」


 聞き慣れない単語が周囲に囁かれる。
 胡乱な頭は与えられた情報を処理出来ないまま、しかし私の体を動かした。
 導かれるような感覚は、倒錯した意識に後押しされた結果のようにも思える。

 実際、錯覚には違いないのだけれど。


 ……かくして、「彼」はそこにいた。


 工業タイルのような、精密に研磨された真四角の石壁の中央。
 不自然な整然さで組み合わされた「時の扉」は、古代の神秘を思わせて幻想的に映った。

 私は目の前の「彼」を注意深く観察する。

 一見して、十代とも二十代とも判断しづらい外見をしていた。
 藍色がかって濃い紫の髪は、肩にかかる程度まで無造作に伸ばされている。
 目は切れ長で鋭く、左目を眼帯で覆っていた。
 シャープな顎のラインがより中性的な印象を増している。
 身長は高い。無駄な部分のない鍛え抜かれた体をマントで覆ったその姿は、猛禽類によく似ていた。
 雰囲気にしても同じだった。
 注意深く私を見る片眼は野生の獣の如く常に油断なく構えている。
 日常的な闘争の中に身を置いた、重く濃密な戦士の気配。

 救世主様、と周囲から声が上がる。

 ムーに伝えられる伝説。
 「時の扉」を介して現れる救世主なのだと、村人の一人が教えてくれた。


「スケイル、世を救う方がご降臨なされたそうだけど」
『そのようですね。ですが、ナナシ様も救世主です』
「随分と安いセリフね、それはまた……」


 はぁ、と意識的に深いため息をつく。
 都合よく救世主が現れた事から成立する推測。
 信用がないのか、単に用心深いだけなのか。
 物憂げに佇むリクレールの姿を連想しながら、収斂。


『ご自身の存在意義に悩まれていますか』
「悩むついでに責任も義務も押し付けたいもんだわ」
『……一度死んで、性格が幾分曲がられましたね』
「いやね、ほんの冗談よ」


 スケイルが困ったような苦笑いを漏らした。
 それに意地悪くウインクを返して、私は「彼」の元へ歩み寄った。

「……?」

 射抜くような視線の中には、微かに疑問と不安を含んだ兆しが垣間見える。
 こちらに害意がないことを悟ってか、「彼」は挙動をそれだけに留めた。
 その戦士として完成された対応に僅かの嫉妬を抱きながら、私。

「君、救世主とか初めて?」

 微量の皮肉も添えた問いかけは、自分的にもなかなかの自信作だった。
 先輩としての気概を含み、後発に対する威圧感すら滲ませた威嚇。
 しかし「彼」は整った眉を微かに歪ませただけで、逆にこう問い返してきた。



「△□●☆×◇■?」



 そんな言葉はこの世に存在しません―――。





【7:55】


『あのまま置いてきてよかったんですか? あの方は』
「言語による意思疎通が出来ないんだから仕方ないでしょ」


 村を出発し、青草茂る大地をもくもくと歩き続け。私はリーリルに到着していた。
 眼帯の青年はムーの長老に手厚く歓迎された。
 たとえ言葉が通じなくても「救世主様」は厚遇されるらしい。
 村人たちは皆それぞれに半信半疑の様子を見せながらも、唐突な来訪者に対して畏敬の念を露わにしていた。
 まぁ、そんな住民の総意に反した行動はマズい……という建前の元、厄介事を処理したわけだけれども。
 そういえば、村を出たところに例のアーサという旅人がいた。「救世主様」のことを話したとき興味深そうにしていたから、もしかしたら彼が何らかの行動に出るかもしれない。


「実際、面倒くさいことなんてまっぴらだもんね」
『言葉にしなくてもいいんですよ、そういうことは』



 再び訪れたリーリルの街は、整理された外観を誇示するように粛然とした趣をたたえていた。
 水路の流れは陽の光を反射してキラキラと粒子のように揺らめき、
 それは理知の光を思わせて眩しかった。
 研鑽と工事の末に成り立ったであろう石床を進むと、小橋の向こうに目的の建物が見え始める。


『例の本……イシュテナさんなら読めるのでしょうか?』
「読めなければ血縁が否定されるわね。ま、それはそれで面白いけれど」
『一応聞きますけど、それ、冗談と解釈して問題ないんですよね』
「ご自由に」
『…………』




【8:30】


 建付けに若干の不具合を感じさせる扉をあけ、クラート医院の敷居をまたいだのが少し前。
 私は薬香に特有のすえた草のような匂いに顔をしかめながら、少々の感傷が入り混じった中途半端な叙情性を感じさせるであろう淡い思索に深窓のご令嬢の如くふけっている最中だった。


「おじいさま……」


 読み終えた本をパタリとたたみ、その味気ない装丁を苦しげな瞳で見下ろした後、イシュテナさんが静かにつぶやいた。
 賢者サリムの日誌≠ノ書かれた内容を大まかに、かつ分かりやすく箇条書きで説明してみるとこうなる。


 ・賢者サリムは魔王再臨を防ぐ手段を40年前から探索していた。
 ・そこで『魔王を生み出した何者かの存在』に行き着いた。
 ・その『親玉』を探すため島中を捜索し、一年をかけたが成果はなかった。
 ・しかし、そこで『新たな魔王』の存在を確認した。
 ・魔王に敗北し、死を予感したが『あと4年』と宣告され見逃された。
 ・やがて、自らの中に『魔王の意志』と直感するものが芽生え始めた。
 ・自分の体が魔王に乗っ取られつつあることを自覚した。


 そして、完全に魔王化してしまう前に『封印の神殿』に向かう。
 日誌の最後の方にはそう記述されていた。

 イシュテナさんは小さくため息をついた。
 様々な情感が入り混じったそれは重苦しく、薬臭い室内に沈んでいく。


「きっとおじいさまは、今も『待っている』のね」か細い声音は、溶けるような呟き。「自分を殺してくれる、『誰か』を」


 その言葉にどのような感情が籠められていたのかは想像に難くない。
 薄暗い室内は、空気までも涙しているかのように冴えた雰囲気の中にあった。
 呼吸の音さえ響きそうな静寂は息苦しい。
 スケイルの視線が切なげに私を見上げた。

 ……ふっ、と考える。

 たとえば、そういう事態に置かれた場合の人間心理。
 自分が自分でない何者かになっていくという、確固たる自覚。
 それに対応すべき自意識の崩壊と、着実に侵攻していく病魔。
 自我の拡散に伴う焦燥感。絶望に縁取りされた恐怖。
 それすら薄れていき、やがて自分が何者であるかを見失う。
 日を追うごとに自身の存在は変質していく。
 愛する孫娘を想いながら、変わっていく自分に怯えながら、ただひたすらに待ち続ける。


 自分を絶ってくれる者を。

 ひとりで。


『ひどい、話ですね』
「そうね…………」



 スケイルにそう頷き返しながらも、実際のところ、特別に湧く感情などなかった。




 封印の神殿の場所は、イシュテナさんが教えてくれた。



【15:00】


 それからの時間はめまぐるしく過ぎて行った。

 クラート医院からの出がけにエルークス薬を購入し、軽く街を散策し、翻訳指輪なるものを開発している老人に出会い、資金のカンパを金欠を理由に断り、その足でサーショに行ってシンにエルークスを渡し、それから少し寝て、何気なく川を泳いで渡った時には太陽は西に傾き始めていた。


『なんだか気味が悪い森ですね……』
「そうね。なんだか気味が悪い森ね」


 そうして辿り着いた場所への感想はその一言に尽きた。
 一般に森林と呼ばれる空間は基本的に薄暗くて気味が悪い場所である。
 齢を重ねた樹木が密集している分だけ、枝葉の連なりが大きな遮光作用を発揮するためだ。
 特にここのように木々の密度が高く、開けた場所があまりない場合はなおさらその傾向が強い。
 要するに、暗かった。
 かなり暗かった。
 隔絶された空間を想起させるほど光と音が遮断された森林世界だった。


「なんだってこんなところに来たのよ、私は!」
『冒険とは未知への挑戦と語彙変換できるものだからです』
「その小癪な発言すごいムカつくんだけど」
『あなたが言ったんじゃないですかっ!』


 勢いに流された数十分前のことを思い出して、嘆息。


「否定はしないけどさー……」
『されたら大変ですよ。主にあなたの頭が』
「……なんか、スケイル性格変わってない?」
『どうでしょう。ナナシ様に感化されたかもしれません』


 ここ三日ほど冗談を言い続けそのたびに窘められたことを思い出して、後悔。
 お小言をこぼし続ける背後霊なんて願い下げだ。ここらでガス抜きでもしてやろう。

「あらら、怒ってるのね」
『呆れているだけです』

 それ、通過点に喜怒哀楽の二番目の感情を通過することを知ってて言ってるのだろうか。
 
 旅も四日目、少しづつ情報は集まってきてるし、そこそこに人助けもした。
 けれど災いの暴く鍵となる情報をつかんだわけでもなく。
 病気の姉を抱えた少年に墓穴に片足を突っ込んでいるエージス、魔王になった賢者、片付けなければならない問題は山積みだ。


『ナナシ様には物事に対する姿勢というものが欠けているのです!』
「姿勢ね…………」


 確かに。

 スケイルが言っているのは、目標に向かって弦を引き絞り、それから一直線に疾る。矢のように迅速な行動。 
 実際は、同じところをグルグルと回遊魚みたいに町から町へと巡るだけ。
 基本几帳面なスケイルには、私の行動の無駄が歯痒いのだろうさ。

 だけど、それでいい。
 別に、私にしかできない特別なことを求められているわけではないのだ。
 そんなのはもう一人の救世主に任せておこう。
 私は順当に、行き当たりばったりに、旅を終えればそれでいい。

 執念や信念を滾らせた使命に殉じる駒が欲しければ、情勢が生死に直結する島民に力を与えればよかったのだ。
 部外者にではなく。
 だから

「そんなもの必要ありません」
『……何もかも適当すぎるんですよ、ナナシ様は』
「私は私なりの真剣さを以ってやってるつもり。スケイルのそれとは違うだけよ。
 最短距離を最速で駆け抜けるばかりが旅じゃない」

 恐らく私以外には理解できない棘と皮肉。
 そして知識だけでは人の世は渡れぬという頭脳屋スケイルへのちょっとした攻撃である。

『ナナシ様の頭は本当に大変なのかもしれません……』

 ふっふ、分かるまい分かるまい。悩め悩め。
 効果があったのか、それでスケイルはそれ以上の説得を諦めてくれた。

『女神様が私をこの旅に任命されていれば、疾風迅雷の理力使いが後世に書物に綴られたでしょうに……』

 なんか、違和感。

 スケイルは一貫として従者としての【姿勢】とやらを頑なに崩さなかった。
 だけど、今のスケイルの言葉には、本人も気づいていない、好いとも悪いとも判別出来そうにない「何か」がこめられている。
 そんな気がして……背筋がゾクリとした。
 おかしいな。今この森に居る人間、私以外いない筈よね。



 この先を考えるのは、やめておいた。
 虎口に入るのは虎子を期待する者だけなのだ。何故か余計な気を回したくなろうが、危険な行為はするべきではない。
 なので対応は一つ。

「ねぇ、クリムゾンクロウで鼻毛処理できるかしら?」
『鼻毛どころか耳毛も眼球も処理できるでしょうね。ナナシ様がどうなろうと知りませんけど命は大事にしてください』

 一を聞いて十を知り、五を知らん振りするのが私のモットー。
 だから、余計な引き出しは開けるべきではないのだ。
 出来るなら、最後まで。



【15:20】


 イシュテナさん曰く、封印の神殿は島のほぼ中央に位置するという。
 昨夜、最南西の洞窟に辿りつき、島の大きさをおおまかに把握しつつあった私は、頭の中に地図を描いてみた。
 島の中心にあるのは山岳地帯で、そこに人が踏み入るのはほぼ不可能に近い。
 わざわざ神殿というからには建築物に違いなく。人が入れない場所は除外される。

 山でなければ森である。

 島は大方一周したが、地図の中でも東の大森林地帯は黒く塗りつぶされており、未知。
 封印の神殿があるのならそこだろうとあたりをつけ、サリムの別荘から島の中央へ北上し始めることにした。

「行くわよ」
『はい、急ぎましょう』

 広漠な森を目前に言葉を交し合う。
 道しるべとなる太陽は、雲に覆われはじめていた。


【15:47】


 森が開けていた。
 晴れていれば木漏れ日の陽気が陰気さを取り払い、適度に涼しい天然の休憩所として機能しただろう。
 子供なら秘密基地に良いと歓喜しそう。

 だが大人なら持ち前の警戒心で絶対にここには留まらない。
 真っ暗な穴が、木の陰草葉の陰、そこらじゅうの地面にボコボコ【穿たれている】。
 大切なペットが死んでしまったので、埋葬用の穴を掘ったのだろうか。けど中身が空っぽだ。
 まるで入居者のいない新居みたいな不自然さ。
 無論人影はない。


 …ないはずがない。


「……ここは長居したくないわね」
『はぁ……そうですか?』

 ここに来るための洞窟を抜けた頃から、雨が降り始めた。
 この世界でも雨は降るんだな、と当たり前のことを呑気に考えられていたのも少しの間だけ。
 正直、この森を甘く見ていた。

 葉に弾かれた水滴は霧雨となって空気中を漂う。
 水捌けの弱い土地だったらしい。濃霧が発生していた。肌は不快にべたつき始めている。
 根っこを踏むだけで滑りそうになるし、見通しも最悪で遠方がまったくわからない。
 悪路に苦戦しながら森を彷徨うこと十数分。
 封印の神殿があるか確かめれば済む筈の森で、手間ばかりがかかってしまった。
 ここ、山に囲まれてるじゃないか。


【16:34】


 徒労感だけが濃い帰り道の途中。
 スケイルが声が聞こえると言い始めたのだった。

「幽霊かしら。スケイルなら居場所もわかるんじゃない?」
『……、私はトーテムですから。幽霊ではありませんので』
「冗談だからね」

 相方の静かな怒気を鎮めて、声のする方へ小走りで走っていくと、

「たすけっ、誰かたすけてー!!」

 それは誰かが偶然助けてくれることに賭けての、声の限りの叫び。
 何故今頃になって聞こえ始めたのだろうか。

「誰もいなかったわよね。動物すら」
『はい。ですがナナシ様、穴の中は調べてません』
「……雨で浸水か」

 嫌な予想は的中。
 ぬかるみ同然の穴から救い出したのは、トカゲ人の子供だった―――。


【16:44】


 名前はテサ、たぶん男の子。
 水汲みに来たのだが迷ってしまい、彷徨っている内に穴に落ちてしまったのだという。
 肌は日に透けた新緑のように瑞々しく、背丈は腰に届く程度、かなり小さいその身体は苗木を連想させた。
 砦で見た屈強なトカゲ戦士の印象が強くて、竜人も子を産み育てながら営んでいるということをすっかり失念していた。
 子供だっているのだ。

『まだ小さく、か弱い子供を……殺すんですか?』
「…………」

 小さく押し殺した声で、スケイルに聞かれる。
 どうせ聞こえないのだから、声をひそめる必要はないのに。
 それだけでスケイルはどうしたいか、わかってしまうのだ。
 
「殺さないわ」



「……お姉ちゃん」



 お互い泥だらけで、しげしげと観察し合う。
 砦で見た屈強なトカゲ戦士のイメージとはどこまでも食い違う。
 目を引くのはやはり肌だ。
 雨で洗い流された泥の下は、がさついた緑ではなく、新緑のように薄く透けた瑞々しい肌だった。
 シャープな体型も相まってか、人間では持ち得ないその流線形には美しさすら感じられて。

 つぶらな瞳でこちらを見つめていた。
 怯えといった感情は皆無だった。
 私は既に柄に手をかけているというのに。

『この子…どうするんですか?』

 小さく押し殺された声でスケイルに聞かれる。
 声を抑えるためではないのは明白だった。なら気づいてないか。

「スケイル、後ろよ」
『……?』

 返事を待たずに振り返る。

 見えたのは霧の中にうごめく灰色の塊、二つ。
 それらは徐々に像を結び、何の装飾もない無骨な鎧を着た王国兵二人になった。
 黙っていられると幽鬼と間違えてしまいそうなほど生気がない。

「はぁい! ご機嫌な陽気だけど、あなた達はどうかしら」

 こちらに剣を向けていることや

「ちっ……先に見つけられちまったか」

 よくよく見れば濁った刃の表面が不自然に水を弾いていることとかは

「一人で話を勝手に進めると嫌われるって女神は教えてないのかしら。
 まぁいいわ。御用は?」

 この際置いておく。
 今はさっさと話をつけて終わらせたい。
 片方の兵士が笑い掛けるように言葉を発した。

「2000シルバ出す。後ろのガキを渡して貰おうか」

『……っ!』
 
 背後、スケイルが凝結した。
 今の言葉が何を意味するのか理解したためだろう。
 兵士が言いたいのは、つまりは「そういうこと」。

「あははは。ごめん、よく聞こえなかった」

 だから、私はにこりと笑う。
 スケイルが息を呑む気配がした。

 二人の兵士もニヤニヤと笑っている。
 私の言葉を額縁どおりに理解したのか、
 私の真意を知りながらそうしたのかはわからない。
 どちらにせよ、彼らは彼らの態度を崩さなかった。
 勇敢にも。


「チッ、分かった分かった…。3000シルバ出そ―――」
「あははは。ごめん、何言ってるのかさっぱりなんだけど」


 トカゲの子供が、怯えたように低くうめいた。

 それは唐突に表情を怒らせた兵士たちのせいかもしれないし、
 沸点に達しそうな私のイライラを敏感に感じたからかもしれない。
 あるいはその両方という可能性も捨てきれなくはない。
 まぁ、どうだっていいんだけどね。あはは。

『ナナシ様、このまま子供を渡さなければ戦いになります。
 それも、向こうの態度から見て簡単に終わりそうには……』


「子供は渡さない」


 スケイルの言葉を無視して、私は言っていた。
 理由は分からないけれど、ただ無性にイライラしていて
 そのイライラの原因が目の前の兵士達にあるのだけは確かで
 なら子供を渡してさっさと終わらせればいいはずなのに
 そうすることを私は心の底から嫌悪していて
 この感情は何なんだろうと胡乱な頭で考えてみるけれど
 そんな自問さえ腹立たしい現状が本当にもう最悪で、


 結論を出すと





 

「あんた達が死ねばいい」






【16:55】


 …森は、静か。


 心はただ平穏の中にあった。
 晴れやかさも無ければ罪の意識など元より皆無。
 無色無音の自分に、時間さえ遠慮しているかのようで。


 すっと袖を引く気配を感じた。
 背後に視線を送るとそこには竜人の子供。
 忘れいていたが彼も当事者の一人、この後訪れる運命に誰よりも身を強張らせている者だった。

 彼は、静かにこちらに眼差しを送っていた。
 その目に涙はない。動揺した風もない。救いを求める嗚咽すらない。
 だがなんらかの意志を感じた。
 その真意を図りかね、そして唐突に理解した。

 幼いながらにこの子は理解していた。
 身体が死ぬ前に心が死なぬよう、思考を止め大人しく運命を受け入れる。
 それが無力な存在に出来る、精一杯の抵抗だということを。
 その意味で、彼は生物としてあれらよりも優秀だと言えるのだろう。
 賛美を送りたい衝動を押し退けて、優しく目じりを下げ笑う。


「もう心配いらないよ」


 喉を通り発音された言葉は不自然に掠れていた。
 彼はびくりと震え、泣きそうな顔で無理矢理と分かる笑顔を作った。
 優しい子だった。頭も良かった。察するに悪意にも敏感だったのだろう。
 恐れよりも感謝を優先させることで互いの立場を初期化したのだと分かった。
 おそらくは私に気を遣ってのことだと思う。




「なんだ、今の音は……」




 そこに、予期していなかった第三者が現れた。
 木立をかき分けて姿を見せたのは青い鱗と鎧の光沢。
 砦で戦ったトカゲ人間……だった。


「! おまえは、砦で戦った人間……」


 それについてはお互いに共通の認識を持っていたらしい。
 トカゲ人間はまず私の存在に驚き、次いで私の背後で震えている「彼」と
 私の前に転がっている「それら」に探るように視線を移していった。
 それをどのように認識したのか。
 蒼いトカゲ人間は静かに足を踏み出した。

「テサ……助けてもらったのか?」

「うん。だけどニンゲンさん……
 ぼくを連れていこうとしたヒトたち―――」


 子供の目が怯えながら「それら」をとらえる。






「殺しちゃった…………」






 一瞬で、森が静けさを取り戻したように思えた。
 今さら変えようのない事実に全てが戦慄したかのように。

 私は、ええそうですよとでも言ってやりたい気分だった。
 おっしゃる通りの大正解です。私がそこの二人を殺しちゃいました。
 ごめんなさい。
 謝りはしますが誤りだとは思いません。だから反省もしていません。
 贖罪は欲しませんし、法によって裁かれる気もさらさらございません。

 そんな風に。こともなげに。


「この子を助けるために同族を手にかけたのか…」


 トカゲ人間が静かに、確かめるような声で言った。
 同族を殺した私のことを外道と蔑んでいるのか、
 そうまでして子供を助けた私に感嘆を示しているのか。
 

「あの時。砦でも、おまえは―――」


 静かな呟き。
 トカゲ人間は静かに歩を進め、無言で「それ」を私に差し出した。
 見たこともない…それは不思議な形状をした草の束だった。
 手に持つと、微かながら脈打つような力強さが伝わってくる。

「これは―――?」
「マニミア草…これで牢に入れた人間の解毒が出来る」
『え……』


 スケイルが、驚いたように小さく声を発した。
 それだけ言うとトカゲ人間は私に背を向け、子どもの元に歩み寄った。
 まだ怯えている彼の頭を思い切り乱暴に撫でて、小さく微笑む。

 その優しい光景に…束の間、立ち尽くす。


「この子を助けてくれたことには礼を言う…ありがとう」


 こちらを振り向かずにトカゲ人間が言った。

「私の名はセタ。砦の副隊長を務めていた……
 よければ、おまえの名前を教えてくれないか?」


 ナナシ、と私が答えると、セタと名乗ったトカゲ人間は振り返った。
 その顔には万感悲喜交々といった感情とはまた違った、
 一人の戦士としての矜持を感じさせる凛々しさが見えた。

 


【17:00】


 森を出ても雨は容赦なく大地を打ちつけていた。
 ザアザアと降り止まない雨は私に何かを訴えているようで、うんざりする。
 スケイルがいかにも心配そうな視線を私に向けた。
 それに大丈夫だと視線で返して、私は口元だけで笑う。

「スケイル、近くに川とかないかな? 手、洗いたくて」
『平気ですよナナシ様。見たところ汚れてません』
「そ、かな……」

 理由はよく分からないけど……私は手を、洗いたい。


『それよりナナシ様、シイルに行かなくていいんですか?』


 あえて話を逸らすように、スケイルが早口で言った。
 気を遣ってくれているのだろうと分かる。
 その配慮が、私には少しだけ煩わしい。

 けれど、今はその優しさに後押しされてみるのも悪くはなかった。
 どちらにせよシイルに行くのはウリユとの約束なのだ。
 ウリユに会いたい、というのは私の本心でもあった。


「…そうね。それじゃシイルに行きましょうか」





 ……このとき、シイルの街で何が起こっているのかを。




 ……私はまだ、知る由もなかった。




 
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