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リレー小説企画『一日一話で綴るシルフェイ... <風柳> 04/13 (21:33) 7987
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  『一日一話で綴るシルフェイド幻想譚』 5... <シなも> 04/19 (13:53) 8089

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『一日一話で綴るシルフェイド幻想譚』 5日目 by シなも 2009/04/19 (Sun) 13:53
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【17:15】

―――ここから動かなきゃ、と思った。

 身体は休息を欲していた。
 私は普段、何十分歩いたら何分間の休憩を入れる、という明確な基準がある。
 体力の枯渇を防ぎつつ効率よく移動する方法だ。

 そのほうが長く、そして結局は早く移動できることに気づいたから。
 だから今の強行軍は体力を消耗するだけだった。

―――それでもとにかく動かなきゃ、と自分を急かした。

 張り出した根に足を取られてバランスを崩しても、
 自分から樹にぶつかることで無理やり転倒を防いだ。
 倒れたら、どうしても立ち上がる気になれないのがわかっていたから、


 そのうち、私は息を切らしていた。
 移動を苦しいなんて思うのはこの旅ではじめてだ。

 自分の制御を失っている。
 そんな曖昧な危機感があったけど。
 それ以上の強い意志が心を括っていた。

―――「あれ」があった場所から少しでも遠ざからないと

 だから、限界だった。
 もう大丈夫だ、と思った所で、私はへたり込んでしまったのだ。


 仰向けに地面に転がる。空はもう真っ暗だ。じきに日も落ちるだろう。
 冷たい、と思ったけどもう動けなかった。
 このまま眠り込んだって構わないか、なんて思いもした。

 疲れていた。
 疲労困憊の極みにあった。

『ナナシ様?』

 スケイルが気忙しげに覗き込んでくる。
 大丈夫と伝えようとしたけど、気持ちが萎えてしまって言葉がしぼんでしまう。
 結局うやむやのまま言えずに終わった。

 身体を無理矢理に動かすのをやめると考える余裕が生まれた。
 分析しようとする冷静さと冷めた心が戻ってきてしまう。
 死んだはずの青ざめた兵士達を引き連れて。

  同じ人間が、どうしてだ―――

 幻聴だ、こんなの。
 頭の中でわんわん響く声は、私があの時のことを想起し、組み立てた妄想に過ぎない。
 でもいくら邪険に振り払っても中々消えない。
 煩わしい亡霊の恨み言は、じわじわと思考を蝕み、意識を下へ下へと傾けていく。


 そんな毒性の記憶に逆らいたくて、私は呟いた。


「私は間違ってなかったわ」
『ナナシ様……』


 一言口にすると、私の想いは急激に明確になっていった。
 思うままにその先を継いでいく。

「子供が襲われてたら庇うしかないじゃないのよ。
 非は明らかにあちらにあったし。
 大義名分があった兵士達もある意味運が悪かった……だけど」 

 今の私の状態を見れば、一時の激情だったのは間違いないだろう。

 でもあの時の私にとっては絶対強固な意志だった。
 どんな非難を受け止めた所で私はたじろかなかったろう。
 無敵でいられた。

 でも、時間が立つと激しく気炎をあげてたその何かは勝手に何処かに行ってしまって。
 私には、苛立ちが残された。

「だけど……とっても苛々したわ!
 なに勝手に大戦の火種になりかねないことしてくれちゃってるわけ!?
 救世主の私の立場はどうなるのよ!
 あとあの子の穴に落ちる間抜けさにも! 道に迷うにもほどがあるでしょうが!」

 いつの間にか私は立ち上がって、叫んでいた。
 限度を越えた苛立ちは身体を勝手に動かすのだなーとぼんやり思って、

「あの兵士達には『ふざけんな』って言ってやりたかったし、
 竜人の子供には『なんでまだ子供なんだ』って言いがかりをつけてやりたかった!!」
 嗚呼……なんか、止まらなくなってきた。
 どうしよう。

「そんな状況を巧く作り上げた【巡り合わせ】って奴には、もう断罪を下してやりたいくらいよ!!」




 ぶちまけてしまった、色々と。

 無闇な自己肯定も、亡霊の幻聴も、もう聞こえない。
 自分の胸の内に残された最後の一言を口にした。


「だから私は間違ってな…い……」


 後一歩で確信へと到るはずだった決定は、
 土壇場で意気地を失くした。

 間違っていない、それは本心だ。
 でもそれを磐石な物にしたいがために、同意を必要とした。

 そして、スケイルに甘えた。

「スケイルもそう思うわよね?」








『……わかりません』

【17:30】

「……スケイルは冷たい」
『ナナシ様、やはり気に病んでおられたのですね。しかし、えー……思う存分叫ばれて、すっきりした顔をなされています。素直なのはいいことですよ』

 スケイルは慰めなのかよくわからないこと言った。

「本心はそう思ってなくてもいいから、頷いてほしかったのに……」
『そんなズルはいけません。メッ!ですからね。
 ……ですけど、本当は私にもわからないかったんですよ』

 この実直で几帳面なトーテムにしては珍しいことに、それは告白だった。

『本来ならば、女神の使いであるこの私が率先して考えなければならないことでした。
 ですけど結局決められずに……ナナシ様に押し付けてしまいまったんです。
 心苦しく思い……、また嬉しく思いました。
 御自身のありかたに悩まれても、ナナシ様は答えを決することが出来るのですね』

 ここでスケイルは何故か、ほんのり頬を染めた。

 嫌な予感がしたのはこの時だ。
 なんかこのトーテム、今からすごく恥ずかしいことを言おうとしていないだろうか……?


『私、ナナシ様は本当に救世主なのだなと感激してしまって……
 女神様が否と言おうと、私のこの信頼は揺るがないでしょう。
 何があろうと、私はナナシ様の御傍でお手伝いしたいと思っていますよ』
「――――」


 やっぱりそうだった。

 あれだけ不真面目な私を見て、あれだけ暴走した私に気を揉んで、
 それでも貴方は間違いなく救世主ですなんて言いやがるのは、スケイルだけだろう。
 ……だからこれを口にするのは私のせいじゃないのだ。

「えっと、スケイル。聞いて」

 きっと、数時間前の私が見たら爆笑しただろう。

 顔を背けて

 「ちょっと嬉しかったわ」、ナンテ……!








 気恥ずかしさから回復した後、私は一つの誓いをスケイルにたてた。

「宣誓。もう、このことでくよくよするのはやめにします。
 ……私ってそんな人柄じゃないでしょう? ねぇ、スケイル」
『えぇ、困ったことにですけど』

 呆れたようにスケイルは笑った。
 そしてようやく、私も笑ったのだった。

【18:06】

 曰く、夜の森は人を飲み込むという。
 町中で出会った詩的な狩人が、確かそんなことを言っていた。

 隔絶されたこの大陸では、多くの糧をもたらす森は生活には欠かすことの出来ない存在だ。
 木材、肉、薬草…得られる恵みは枚挙に暇がない。
 それを求めて、結構な数の人が毎日出入りしているそうなのだ。

 その恩恵は抗い難く長居を誘う。
 熟した果実の甘い香りが、古木から溢れる木漏れ日の暖かさが、人を引き留める。
 中には自分が何処にいるかも忘れ、放心してしまう者もいるほどだそうだ。

 そんな美しい森なのだが、
 夜になるまでに帰ってこなかった者は諦める……という厳然たるルールが存在している。

 獣が多いとはいえ、救助を諦めるのが早すぎるのではないか。
 疑問に思って問うと、狩人はニヒルに笑って、森の本当の姿を見たら帰れない、と応じた。

 空から遠目に見ることが出来れば、この森の正体が大陸の三分の一を支配する巨躯の黒いケモノだと気づくだろう。
 百万の生と一億の死を内包する大いなる獣性の象徴だ。
 なるほど、そんな怪物が相手では人間は生き延びられない。

 そんな危険地帯を私は今から単騎で駆けなければならない。
 でも理由なんて一つあればいい。
 全ては麗しのウリユ姫に会うために!

 さあ行こうスケイル!
 すべてをワクワクに変える大冒険が―――!!








「―――なんて危険冒すのはアホだと思わない? 登山って素敵よね」
『……すごく納得がいかないんですけど』
「なにがよ。実にスマートで合理的な答えじゃない」
『違います! 私のシステマティックな部分が今のナナシ様を否と叫ぶんですよ!』
「あー? ……確かにあの狩人、ナルシストっぽい雰囲気があったものね。
 大袈裟に話す適当な人だったのかも。しくじったわ……」
『そうじゃなくて! 貴方はテキトーすぎるんですよ!さっきまでのナナシ様は何処にいかれてしまったのですか!?』

 勿論、そんなこと出来るわけなかった。
 雨の中での野宿を諦めた私達は、山と森の境界――中央山脈の麓を進んでいた。
 ケダモノだらけの森の中を突っ切るより、雨で滑る急勾配の山を越えるより。
 頭上の心配だけすればいい崖の下を行くことにした、というわけだ。

 周りに岩がゴロゴロ転がっていることを思えばちょっと危険かもしれない。
 だけど本格的な夜を迎える前にシイルの村に到着するためには仕方ないことだった。


『早すぎる……切り替えが早すぎる』
「なに?」
『いいえ。
 でも、ウリユ様に感謝しないといけませんね』
「まったくだわ」

 シイルの南には大森林地帯へ抜けられる洞窟がある―――
 そのことをウリユから教えてもらわなかったら、
 山に沿って進めば洞窟をほぼ確実に見つけられるという発想は出なかったし、視界を失くした私達は森からの出口を求めて彷徨ったあげく、確実に迷っていただろう。



 思えば、あの子には世話になりっぱなしだと思う。
 私がウリユの元へ通ってあげてる、なんてことになってるけど、実際は逆だと思う。
 血生臭さと無縁ではいられなかったこの旅を、暗くならずに続けられるのはあの娘のおかげだ。
 今シイルに向かっているのだって。

―――そうさ。
 今日あった嫌なことも、ウリユの顔を見れば、きっと忘れられる。
 何事もなかったかのように旅を続けることだって、ウリユの笑顔ならきっと可能とするのだ。


ああ、早く会いたいな。


【21:34】


 シイルに着いた私たちは、村人が全員死ぬ予言をウリユがしたことを聞かされた。
 スケイルは目を伏せた。
 私は―――呆然とするしか、なかった。

 例えるなら、それは死ぬ感覚に近い。今ある世界との繋がりがぶちぶちと音を立てて切れていって、必死で繋ぎとめようとしてもそれは叶わない、あの感覚。

 目眩がして、倒れこみそうになって、それに気付いて慌てて足を踏ん張る。
 たったそれだけの動作にも、私はありったけの気力を振り絞らねばならなかった。

「ああ、ナナシさん……」

 こちらに気付いたユーミスさんが駆け寄ってきた。私は何と言ったら良いか分からず、唇を噛んだ。

「ナナシさん、とにかくここを離れて、安全な場所へ行ってください」

 ユーミスさんは開口一番そう言った。

「で、でもっ!魔物なら倒せばいいじゃないですか!」

 生きることを諦めきったユーミスさんの言葉に、つい私は反発してしまう。

 ユーミスさんはそれを聞いて、とても小さく笑った。『どうやって?』と言外に問う笑み。
 それを見て、『倒せばいい』なんて力がある者の傲慢であることに気付く。

「すみません……」
「いえ。……あの、良かったら行く前に、ウリユにお別れを言ってあげてください。
 後、店にある物は何でも持って行ってくださって結構です。もうどうせ、売る相手もいなくなるんですから………」
「……お別れ、なんて…いなくなる、なんて……」

 そんな事無いですよ、と言いたかったのに、舌がもつれて上手く喋れなかった。



 ユーミスさんの店の鍵は、開いていた。シイルの夜は早い。普段ならこの時間帯は閉まっていたはずだ。店主のいない暗い店内は、間取りは同じでも私の知らない場所と化していた。

 ノックもせず、ドアを開ける。ドアを開ける音でこちらに気付いたのだろう。ウリユが私の方を―――ドアの方を―――見て、寂しそうに微笑んだ。

「来てくれると思ってたよ、ナナシお姉さん」
「……!!」

 口の中に鉄の味が広がった。唇を噛みすぎて裂けたのだ。

「もう聞いた?私が今朝した予言……」
「……うん」

 ウリユは目を閉じる。さながら、夢の中で見た魔物の姿を、思い出そうとするかのように。

「夢に出てきた魔物はね、とても強い力を持ってたの。きっと、今のナナシお姉さんでも敵わないと思う。

 だから、ね。今日でお別れ」



 『さようなら、ナナシお姉さん』―――



【22:00】


 私は、シイルを出た。

 シイルは高い丘の上にある村だ。空を飛ばない限り、道は1本しかない。
 そこを守れば、シイルを守れる。

 スケイルも同じ事を考えたらしい。

『敵は必ずここを通るでしょう。真夜中にやって来るそうですが、待ち伏せますか?』

 私は深呼吸の後、応えた。

「ええ」
『では、待ち伏せしておきましょう』

 スケイルの言葉は、何処か事務的に聞こえた。


【23:50】


 カタカタカタ、という耳障りな音が聞こえた。

「……?」

 何だろうと訝しく思い、辺りの気配を探る。真夜中にはまだ少しだけ早い。何の気配も感じられない。もし気配を消した敵が潜んでいるなら、わざわざ変な物音など立てないだろうと結論して、私は装備の点検に戻った。

 ピカピカに磨き上げたロングブレイドとチェインクロス。紅い光を宿すクリムゾンクロウ。ユーミスさんの店にあったありったけの理力と治癒の水。
 これが、現状で揃う最高の装備だ。だからといって不安が無いわけではないけれど、もしここに伝説級の武具が全て揃っていたとしても、不安がなくなるわけではない。

「無い物ねだりをするくらいなら、今あるものを最大限に生かす術を考えないと」
『珍しく良い事を言いますね』
「何、スケイル」

 眉を吊り上げて睨むと、スケイルは冗談ですと苦笑する。異変に気付いたのは、その時だった。

 武器の点検を終え、鞘に収めようとして、剣を落としてしまった。それだけならまだいい。でも拾い上げようとして、上手く掴めずに何度も失敗して。
 目で見て分かる程に震え始めた両手。その震えが全身に伝播するのに、時間はかからなかった。

『ナナシ様………』

 スケイルが目を伏せて呼びかけてくる。私はそれに応える事が出来なかった。


 怖い。


 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!!!
 もう一人の私が私の中で絶叫したようだった。それはカタカタという音を更に大きく、更にテンポを速めた。
 私は自分を抱き締めて、恐怖に耐えるしかなかった。

 ―――今のナナシお姉さんでも敵わないと思う。
 ―――どうせ、もう売る相手もいなくなるんですから……。

 耳の中で、2人の声が繰り返しわんわんと響く。それが不意に途絶えた時、私の背後でゴウ、という唸り声にも似た音が聞こえた。振り返ると、シイルが業火に包まれていた。
 そんな馬鹿な、もう真夜中になっていた!?戦慄する私を嘲笑うかのように幻覚は消えて、雨の暗闇に沈むシイルが戻ってきた。

 カタカタカタ。耳障りな音が響く。

 頭が真っ白になる。何で私はこんな所で雨に打たれているんだろう?明らかな死を待っているんだろう?

 逃げろ、ともう一人の自分が叫ぶ。逃げたくない、と私が叫び返す。



「―――たったひとりで、何か出来ると思っているのか?」



 そんな私に、低く怜悧な声が投げかけられた。



【24:00】



 魔王の姿を見た時、私は思ったほど驚きを感じていない自分に気付いた。

 確かに今までの敵と比べれば脅威ではある。勝てるかどうか分からない。が、敵の力がはっきりした事で、想像上の強敵という人間が絶対に敵わない存在からは逃れる事が出来た。

 まだ、怖い。だがそれは、何故怖いかすら分からなかった先程までとは違う。
 だから、応えられる。

「ええ」

 と。

 魔王は返す。

「殺せ」

 と。


 命令の下、すっと動いた兵士達が突撃してくる。恐ろしく統率が取れていた。砦の部隊長をしていたような紫の肌のトカゲ兵士が6人。まずは中ボスという所か。ひとりの少女に6人の竜人。普通なら話にならない。だが、私はトーテム能力者だ。

 剣を抜く。腰を落として低く構え、迎え撃つ姿勢をとった。

「来いッッ!!!」
「オオオオオッ!!!」

 啖呵と咆哮が交差する。私の剣が竜人のひとりが振り下ろしてきた剣を受け止め、その衝撃で半歩下がりながらも、集中を途切れさせず、フォースを練り上げた。

「《雷光》!!」

 星も月も無い暗闇に閃光が爆ぜた。竜人達に目を瞑る暇は与えられず、彼らの間近で発生した本物の雷に匹敵するかという閃光が竜人の瞳を一時使用不能にしていたが、彼らの体が受けたダメージを累計すればさしたる割合を占めるものでは無かった。

「ぐぅうあぁあああああああああああッ!!!!」

 私と鍔迫り合いの真っ最中であった竜人は直撃を受け、この世の物とは思えない苦痛の咆哮を上げながら地面に仰臥する。他の5人とて視力が戻らず軽いパニックに陥る―――私はその隙を逃さない。

「はぁああああああああッ!!!」

 気合の声を張り上げ、大袈裟なモーションで振り下ろした剣は、ひとりの竜人の体を肩から腰に掛けて両断していた。その動きから流れるように体を一回転させ、すぐ傍の竜人の腹に回し蹴りをぶち込んだ。それだけでは決定打にならないが、仰臥した竜人の喉に楔を打ち込む様に剣を突き立てれば致命傷になる。

 視力が回復するまでに3人。悪くない出だしだ、と内心でガッツポーズをした一瞬後、悲鳴のような―――いや悲鳴そのもののスケイルの声が発した。

『ナナシさまッッ!!!』

 その声が無ければ死んでいた。背後に発した別の竜人の気配に気付た私は、全脚力を以って前へ跳んだ。それでも走る激痛。背中を右肩から左腰に斬られ、かつてリーリル東の砦で負ったのとほぼ同じ傷が刻まれた。

「ああああああああああッッ!!!」

 苦痛に耐えかね、私は泥の中へ頭から突っ込んだ。ダメージ甚大、治療優先。泥をいっぱいに含んだ口中に、こんな所で死ねるかの怒声を飲み込んだ私は、即座に起き上がり、《治癒》をかけた。

 口の中の泥を吐き出す暇も惜しい。目の前に迫った竜人に向かって手を挙げ、『爪を振るった』。

 クリムゾンクロウ。火炎のフォースを理力の消費ナシに使える、私の隠し玉だった。剣より速く、剣より使い易い。魔王戦まで取っておく心算だったのだが。

 私を斬った兵士が業火の中へ閉じ込められた。苦痛の咆哮を聞きながら、私は泥を吐き出し、雨水で口を濯いだ。

 どうにかして火を消して仲間を助けようとした2人の兵士は、この豪雨の中でも燃え続ける炎を見て救出を諦め、恐怖と怒りとを湛えた4つの瞳が私を注視する。私はそれを正面から睨み返し―――その後、双方から同時に襲い掛かった。

 ひとりの剣を受け止め、ひとりの剣を波動で弾き飛ばす。受け止めた剣を僅かに引き、バランスを崩した竜人の腹目掛けて蹴りを入れる。その隙に波動で仕留め、剣を失った最後のひとりをクリムゾンクロウで仕留めてフィニッシュ―――というのが初期の予定だったのだが、そう上手くいくものではなかった。

 蹴りを入れた直後、剣を投げ飛ばされた兵士はあろう事か素手で殴りかかってきた。想定外の攻撃に、顔面でもろに受けてしまい、竜人の腕力で虚空に投げ出された私の体は、2メートルは空中を飛んで、そのまままた体を泥に投げ出す事になった。

『ナナシさまっ!』
「私は大丈夫ッ!!」

 即座に跳ね起きる事が出来たのは、下が泥だったからだ。これが硬い地面だったら決定打になっていたに違いないが、幸い着地のショックが弱かったので見た目の派手さほどのダメージは無かった。

 顔面でもろに受けたというのに脳震盪にもなっていないのはトーテム能力者の頑丈さ故か、と私は理力を司るというトーテムに感謝する。これが肉弾戦特化であればそもそもあんな拳を食らう事も無かったのかもしれないが、それを後悔すべきなのは今ではない。

 起き上がりざま、すぐ近くまで迫っていた竜人に対して救い上げるように剣を振るう。それを受け止めて、抑えきれずに剣を投げ出した竜人に、私は泥を蹴って飛び上がり、顔面に靴底を叩き込んだ。

 先程の仕返しだが、やはり私は肉弾戦向きではないので、さしたるダメージを与えることは出来なかった。だが、隙が出来るのみで十分。間髪入れずに押し潰すような波動を放つと、起き上がろうとしていた竜人は両手両足を大きく開いたまま意識を失った。

 残りひとり。最早チームワークを取る仲間もおらず、単騎で向かってくる兵士を迎撃するのは容易い筈なのだが、既にダメージを負い、疲労を蓄積させている私は苦戦してしまった。

 剣を受け止め、流し、敵の体勢を崩し、フォースを叩き込む。これまで殆ど一貫してそのスタイルで戦ってきたのも裏目に出た。兵士はどっしりと構え、容易には体勢を崩してくれそうも無かった。そして体勢を崩せなければ、私の細い体では竜人に決定打を与える事は難しい。

「くぁっ!」

 何度かの剣戟の後、腕力に任せて振るわれた剣を受け止めた手が痺れる。流石熟練の兵士、隙を逃さぬ体当たりが、私の手から剣をもぎ取り、体を後方へ投げ飛ばした。

 泥に叩きつけられるのはこれが3度目だ。肺の中身が全て吐き出された感覚がし、一拍遅れて腹の辺りに圧迫感、そして、紫色の大きな手が首を絞めて来た。

「―――――ッッ!!!」

 全身の細胞が酸素を求めて咆哮するが、完全に気道を塞がれ、声は出ない。神経がぶちぶちと音を立てて寸断され、視界がどんどん黒に塗りつぶされる。意識が途切れてしまう直前、私は首を絞めてくる指の一本を掴み、持てる力の全てを使いそれをめちゃくちゃに動かした。

「ォオオオオオオッ!!!!」

 決して曲がらない方向に曲げられた指を押さえ、獣のような悲鳴を上げながら竜人は私から仰け反って離れた。咳き込みながら起き上がると、お互いの剣が彼方へ転がっているのがちらと見えたが、拾おうとは思わなかった。

 手の痛みを無視する事に決めた竜人の視線と、喉の痛みを無視する事に努める私の視線が絡み合う。再び同時に踏み込んで、それからすぐクリムゾンクロウを使えば良かったと後悔したが、結果オーライという意味では問題なかった。

 危うい所で竜人の拳が右耳を掠める。私の拳は竜人の首の下、人間の鎖骨に当たる部分をカウンター気味に打ち抜いた。拳が骨を砕く嫌な感触が私の手に伝わり、再び苦痛の咆哮を上げた竜人がのた打ち回って泥に突っ込んだ。

 人間の骨の中でも、鎖骨は割と簡単に折れる。そして折れれば当然ながらかなり痛い。竜人もそれは同じだったらしい。私はそれ以上近付く愚は冒さず、そこらに転がっていた竜人の剣を拾い上げて投げつけ、止めを刺した。

 その一連の戦いの中、魔王は加勢しようとはせず、感情の無い瞳でそれを見ていた。

「……仲間が殺されたっていうのに、随分な王様じゃない」

 魔王は答えない。だが、何かに納得したかのように口を開いた。

「なるほど、我らの砦を落としたのは貴様だな?」
「………」

 私は答えない。唯集中する。理力使いの私にとって、集中出来る時間は貴重だ。

 それを意に介さず、魔王は、告げる。

「愚かな人間よ―――己の無力さを嘆きながら死ぬがいいッッ!!!」

 それは―――絶対ニブチ殺シテヤル、という宣言だ。その瞬間、私の目の前に居るのは思考する生物としての個体ではなくなり、私と私の世界に害なす存在となった。

 先に動いたのは私だった。集中し続けた理力を爪に乗せる。クリムゾンクロウから放たれた業火が、今まさに突進せんと前傾姿勢になっていた魔王を包んだ。

「ぐぉっ!?」

 更に二度、三度と火炎を叩き込む。容赦はしない。

「ニンゲン如きがッッ!我に傷を負わせるかッ!」

 怒声が弾け、魔王を覆っていた業火が花火のように内側から爆ぜた。鱗が多少焦げているとはいえ、さほどダメージを負った様子は無かった。流石にフォース耐性は高い。魔王相手に理力戦では分が悪いか?

「でぇやぁあああああああッ!」

 そうして選択したのは、急所狙いの肉弾戦。私は武器を剣に持ち替えて突進する。そして身の軽さを生かして飛び上がり、振るわれた魔王の拳さえ足場にして、その首に剣を振り下ろした―――が。

 剣が何かにぶつかった。硬い手応え。澄んだ音が響いた。ヤバい、と本能的に察知した私は、地面に落ちるまでの時間も惜しく、魔王の体を蹴って距離を取った。間一髪、一瞬前まで私がいた空中を銀色の爪が横切った。

「どうした?その程度なら蚊が刺したほうがまだマシだぞ?ククク……」
「ちぃっ!!!」

 剣の手応えと、先ほど蹴った足の感触。どちらも魔王の鱗とは思えない。
 嫌な予感を無視してもう一度。剣を突き出し、突進すると見せかけて途中で方向転換。あっという間に背後に回りこむ。そのまま喉に向けて剣を振り下ろすが、返ってきたのは再び硬い感触。皮膚に弾かれている?実際は、皮膚との間に薄い障壁が存在していた。

『《結界》ですッ!!貫通できるのは理力攻撃だけですッ!!』

 先に言え―――という思考が身を結ぶ前に、私の目の前に銀色の何かが広がった。慌てて顔をそらすと、耳を何か銀色の巨大なものが横切った。

 魔王の手による強打だった。巨大な手が襲い掛かってくるのを避けながら、私は全身から冷や汗が噴出すのを感じていた。
 この巨体で、他の竜人の兵士と変わらないかそれ以上のスピード。これでは武器など要らない。その図体全てが武器になる。それに恐怖していた私は、魔王が理力を使うという事を完全に失念しており―――その瞬間、私の視界は白く塗り潰された。

 当事者以外の者が脇から眺めていれば、コンマ以下で集中を終えた魔王が本物の雷を圧倒する程の紫電を放った事を感知出来たかもしれない。だが、自分が竜人に放った攻撃と同じダメージを負う羽目になった私としては、フォースが雷を圧していようがそんな事は瑣末事でしかない。
 今度の戦闘で慣れ親しんだ泥に突っ込む感触も、全身をズタズタにされた今では耐え難い苦痛だった。

「うぉぁああああああああああああああーーーーーーッッ!!!!」

 苦痛の咆哮が口をついて出る。次の一撃を許せば絶対死ぬ。やばいやばいやばい、と全身の細胞が叫んでいるのに、治癒を施すにはフォースが足りない。

 理力の水を取り出そうとする手が上手く動かず、それが更に手の動きをめちゃくちゃにする。シイルを守ろうという決意も何も無く、ただ生にしがみ付く行為。その間に坂を上ってシイルを攻め入るなり、私に止めを刺すなり出来た筈の魔王は、私を嘲笑うかのようにそこに突っ立っていた。

 皮肉にもそれを確認して僅かばかりの冷静さを取り戻した私は、一刻も早く傷を癒し、理力の回復をする事に勤めた。全回復まで悠然とその場に立っていた魔王に、私は剣を挙げて対峙する。

 ああ、でも分かっているのだ。さっきの一合で分かってしまったのだ。絶対に敵わない。このまま戦い続ければ絶対に負ける。絶対に殺される。剣は通らない。フォースの威力は段違いで、互いの体力差を考えれば理力合戦でも勝ち目は薄い。

『私が…戦えれば……!!』

 スケイルが悔しそうに呻く。私は苦笑する。戦いに「もしも」や「こうだったら」は無い。在るのは、私が死ねばシイルは滅ぶという事のみだ。

「ククク……まだ戦う気か?」
「ふっ、当然でしょう?私の実力がこの程度とでも?あんたも魔王って言うからには、もっと強いんでしょうね?」

 精一杯の虚勢。一気に増した魔王の殺気を全身で感じつつ、私は魔王目掛けてクリムゾンクロウを振るった。

 並のトカゲ兵士ならそれだけで火達磨になって死ぬだけの威力を持つはずのそれは、魔王の全身を覆いはしたものの、消えた後には変わらない銀色の鱗。雷光、波動と私が持てるフォースの全てを叩き込んでも結果は変わらなかった。

 そして魔王は、一発一発が私にとっての致命傷となる攻撃を連続で放ってくる。拳による強打、回避困難な雷光、一撃必殺の波動。本気で振るえばもう10回以上私を殺せるだけの力を持ちながら、魔王はわざと遊んでいるようだった。

 冗談じゃない、と雑念が混ざり、集中が途切れた刹那、回避しそこねた拳が私の腹にめり込み、全身がベキベキと嫌な音を立てた。

「がはっ!!!ごふっ、がはっ…!!」

 口の中いっぱいに血の味が広がる。ヤバい、と思った時には既に魔王は私の首を掴んで持ち上げていた。

「そろそろ終わりにしよう」

 そして、首から下がぶつん、と感覚が消失して。

 私は、死んだ。


【??:??】


 壁を崩す地鳴りのような音が断続的に響いていた。誰かが恐怖に泣き叫ぶ声はもう止んでいたが、代わりにぱちぱちと爆ぜる炎が、嘆きの声を響かせていた。

 それは虐殺と呼んでもまだ温い、徹底した破壊と殺戮の連続だった。

 主にそれを行うのは魔王だ。兵士達は村を包囲し、逃げようとする村人がいればそれを殺す役目。だが、ウリユの予言を聞いていた村人達は、徒に逃げ、苦しむ時間を長引かせようとする者は殆どいなかった。

 ナナシは知らないが、村の老人が勇者の再来までそこにあり続ける事を疑わなかった《大地の鎧》さえも奪われていた。防壁を全て破壊するという荒っぽいやり方で。先程から聞こえ続けていた壁を破壊する音はそれだった。

 家は破壊され、命は殺され、宝は奪われ、シイルの村は彼らに蹂躙されていた。

 いや、彼らではない。蹂躙しているのは魔王だけだ。

 トカゲ兵士の誰もが、こんな惨劇を望んでいなかった。ただなんとなく敵であるだけで、人間を心の底から憎んでいるトカゲ人などもう殆ど残っていない。

 どうしてこんな事になったのか?そもそも何故この2つの種族は対立しているのか?

 誰も分からない。誰も知らない。破壊している魔王は知っているのかといえばそうでもない。寧ろ魔王はこの場において誰よりこの戦争の構図を知らないといえた。

 彼は"神"に作られた存在。"神"が用意した、人間を殺す為の武器だった。

 武器は破壊の象徴かもしれない。だが、武器が意識を持って破壊するわけではない。それを振るうのはあくまで人であり、それによって傷ついたとしても、責められるべきは武器ではない。

「あなたは、可愛そうな人だね」

 だから、ウリユはそう言った。

 シイルを滅ぼし、自らの母を殺し、今まさに自分を殺そうとしている存在に向けて、そう言った。

「………なんだと?」

 魔王は驚く。神に絶対殺せと命じられた白い髪の少女、預言者の少女の、あまりにも堂々とした態度に。

「あなたには、何も無いの。あなたの未来を視た。何も無かった」

 はっきりした声。敵意が篭った声でも無く、淡々とした声でもなく、ただ見た事を告げる声。神託にも似た雰囲気を持つ言葉に、魔王は最後まで聞かざるをえなかった。

「あなたは戦うだけ。誰からも愛されない。誰も愛さない。誰かを殺して生き、誰かに殺されて死ぬ。モノの未来を見てるみたい」
「…………、れ」
「ナナシお姉さんがあなたの未来をどう変えるかは分からないけど、これだけは言えるよ…………あなた、本当に可愛そう」

 黙れ、という咆哮は声にならなかった。ナナシが与えた傷などとは比べ物にならない程深い傷を魔王に負わせた少女は、その万分の一にも満たない痛みで生を終えた。



【07:00】



 目を瞑っている。
 力一杯、全身全霊の力を込めて、一切の光景を遮断している。
 目を開けたら、それは怖い。とても怖いに違いないって分かっている。

 だけど、そんな抵抗は無意味だ。

 瞼の裏にだってそれはある。粘つくように不快な匂いにも。ざあざあと喧しい静寂にさえ。
 それの名前は、現実といいます。黒い手足をパタパタさせて、私を、殴りつけます。

「ナナシ様…」
 
 スケイルの声。何かを堪えるように震えて、おぼつかない。
 それで、何となく分かった。彼女は現実を直視したのだろうと。
 どうしよう。どうしましょう。
 それはまるで、取り返しのつかないヘマを犯した子どものよう。
 震える彼女が悲しくて、彼女だけをそこに取り残すのが忍びなくて。
 目を開けた。


 ……一瞬、どこだか分からなかった。


 崩れた瓦礫。倒壊した家屋。何かの冗談みたいなカタチをした人々の名残。
 ほんの少し前まで生き物がいたのか疑いたくなるくらい、その光景は終わっている。

「…………」
 
 ああ、と思う。
 目を覆いたくなる。だから、これが現実なのだと理解した。
 世界は散々に壊されて、残されたのは血と肉と骨と木片と鉄くずと石ころだけ。
 笑ってしまうくらい完成された暴力を目の当たりにして、浮かぶ感想は一つだった。


「ここまで…」


 徹底すること、ないのに。
 呟きにも似た嗚咽は雨に融けて、無音だった。
 骨が溶けそうな。色なんて無いくせに、黒い雨。
 崩れ去った村。もうこの場所はどこでもない。
 倒れている誰か。もうこの人は誰でもない。
 怒りに任せたように原始的な破壊の爪痕が、深く胸を抉る。


「ナナシ様―――」
 スケイルは、ごめんなさいと言った。
 泣いているんだなぁ。他人事みたいに思う。
「私が…もっと、もっとしっかりしていれば、こんなことには……」
 声が震えている。悔恨の響き。怖くて耳を塞ぎたくなる。
 仮定の話。豚にも劣る醜悪な感情の逃げ場を誰が許すのか。
 私がもっとしっかりしていれば。
 それはいったい、誰の言葉だって言うんだろう。

「…仮定の話なんか、しても仕方ないわ」
 私の声はひどく平坦だったと思う。喉が痛くて、泣きそうだった。
 焦燥。混乱。不安定。 放心。絶望。喪失。嫌悪。
 いくつもの感情をかみ殺して、私は目を閉じた。静かに、開く。
 これが全て。目を背けることを許してくれるとは思えない。
 スケイルは泣いていた。
 何が怖いの? どこが痛いの? 聞いてみたかった。
 そうやって茶化せたなら、どれだけ楽になれたか分からない。

 
 土を掘って、丁寧に誰かを埋める。
 添えるべき品も言葉もない。ただ手を合わせた。
 …吐き気がする。今の自分は余りにも滑稽にすぎる。
 飲み込んだ感情は、苦くて酸っぱくて、最低な味がした。

「ナナシ様…私は……」
「まだ泣いてるの、スケイル」

 後ろからの声に振り向きもせず答える。
 自分でもぞっとするくらい、優しい声だった。

「私たちは全力で戦った。でも負けたの。仕方ないと思わない?」
「でも…! 何かあったはずです。何か、違った未来、が―――」

 泣き崩れるようにスケイルの声が掠れた。
 とめどもなく。彼女の涙は枯れ果てはしない。
 それは雨に似ている。
 吐き出すような懺悔の雨。降り続いては心を濡らして。
 そうして、ひどく空っぽになってしまうまで止むことはない。

「…私たちに出来るのは、次に生かすことしかない」
 私は次の誰かを埋葬して、そっと手を合わせる。
 どうか安らかに眠れますように。

「私はこの人たちの無念も背負った。だから逃げない。戦う」

 スケイルの泣き声はもう聞こえなかった。
 それが代わりであるように、息を呑む気配がする。

「…それは、救世主としてですか」
 低い声。
 それに、あえて答えることはしなかった。


【14:00】


 村の大半の人を埋葬した頃、雨は降り止んでいた。

 建物の残骸と薄闇が見守る中、最後に私はウリユの家に入った。

 ウリユの家を最後にしたのは何故だろう。分からない。目先の事から片付けようとしていたのか、それとも無意識に避けていたのか―――どちらにせよ、考えてした行動ではないものに理由付けても無駄だろう。

 ウリユがいたベッドの残骸の前で、私は静かに手を合わせた。

 死体は無かった。だからといって生きていると思うほど、私は楽観主義ではない。もしかしたら私が既に埋葬し終えた人々の中にいたかもしれない。もしそうならあの墓の前で祈るべきかもしれないが、ウリユと話すとすれば、ここしか考えられなかった。

「ゴメンね、ウリユ」

 でも、出てきたのは結局、それだけ。

 結局、私には運命を変えることが出来なかった。
 "運命の線"が無い私なら、運命を変えられるかもしれなかった。
 誰か一緒に戦ってくれる人がいたら、結果は違ったかもしれなかった。

 ぼんやりとそんなことを考えて、これでは先程のスケイルと変わらない事に気付き、私は頭を振ってその考えを追い出した。

 混乱の極みにあった心はとりあえずは落ち着きを取り戻し始めていた。
 時間経過のためか、人を埋める作業の冷たさのせいか。
 焦燥も混乱も不安定も放心も絶望も喪失も嫌悪も。
 溜め込んだ涙は腐ってしまって、私はあまりにも無感動だった。

「…………」

 そんな私を、スケイルは何も言わずに見つめている。
 彼女は既に泣き止んでいて…瞳は、もう前を向いていた。

「ナナシ様。私は今日ほど自分の無力を呪ったことはありません」
「…強くなりましょう。もう、こんな思いはしたくないもの」

 はい。頷いて、スケイルは目尻を下げた。

 私も釣られて下を向く。そしてふと、視界の端に、三角形の何かを見つけた。

 それはベッドに使われていた木の残骸などでは決してなく、荒削りだが間違いなく、作り手の望む形のまま―――或いは作り手が目指していた形の中間で、そのまま放置されていた。

 ああ、そういえば前にウリユと話した時に言ってたっけ。

『今ね、ナナシお姉さんのためにお守り作ってるの』

 冷たい雨に打たれていた手に、温かい雫が一粒落ちた。


【17:00】


 それからどのようにしてここまで移動したのか、私は全く覚えていない。

 ただ、気付いたらリーリルの宿屋にいた。スケイルに聞いてみようかなと思ったが、無駄だろうと思ってやめた。

 ……不思議だった。シイルが滅んで、私は心に穴が開いたという言葉そのままの心境を体験しているのに、この街はこんなに平和で、普段と変わらない。

 噂話として滅んだ事自体は伝わっているらしいが、だからといって何かが変わったわけでもない。普段どおり。いつも通り。

 なら私も、普段通り振舞うべきなのだ。それがウリユ達への供養になると、信じている。

 私はポケットの中でウリユのお守りにそっと触れる。ざらついた荒削りな木の感触が心地よかった。

『ナナシ様……』
「私は大丈夫よ」

 気持ちの整理をつけるまでかなりの時間はかかったけれど、私はまた、戦える。

「まずはマニミア草か………」

 解毒剤を貰っておいて、配達が手遅れでしたでは洒落にならない。


【17:30】


「便利ね」

 今日発売されたばかりのフォース、《転移》。一度行った事のある街なら瞬間移動出来るその効果を形容するに、それ以上の言葉は無かった。

 特に私には、15日という時間制限がある。移動が早くなるに越したことは無い。
 クリムゾンクロウがあるので、最早覚える必要が無くなっている《火炎》は忘れさせて貰った。他人に記憶を消して貰うというのは、何とも言えない奇妙な体験だった。

 リーリルとサーショ間を転移し、マニミア草をクラートさんに、エルークス薬をシンに渡した後は、今日は他に何をするべきか分からなくなった。

 賢者サリムが魔王化しているという封印の神殿……は駄目だ。シイルで戦った魔王と同じ力を持つか、若しくは元が元なのでそれ以上の可能性もある。今の私ではおそらく敵わない。残り13回死ねるといっても、無駄死にはゴメンだった。

「さて、どうしようかな………」
『占ってみてはどうですか?』

 スケイルの思わぬ発言に、私ははい?と頭上に疑問符を浮かべた。スケイルの示す先には、如何にもな風体の占い師がいた。兵舎と宿屋に挟まれた路地の奥に、その占い師は店を構えていた。黒いローブを着た、いかにもな感じの老婆。……怪しさ抜群だった。

「……マジで言ってるの?」
『え?ナナシ様は占いを信じないのですか?』

 そんなバカな、という態度のスケイルに、私はいやいやいやと頭を振る。

「占いよ?信じるに足りる根拠なんてあるの?」
『ナナシ様はウリ……予言は信じるのに占いは信じられないのですか?』

 ウリユ、と言いかけたスケイルが予言と言い直したことにチクリと胸を刺されながら、私は知らぬフリをした。スケイルだって悪気があったわけではない。

「だって、占いだし」

 それ以外に言い様が無い。予言は確定した未来を示しそうだが、占いは嘘臭いのだ。私の独断と偏見だろうと関係ない。そんなものを旅の指針にする心算は無い。

 だがスケイルは私などより余程乙女チックな性分らしく、占いに関してはかなり粘りを見せたので、私は渋々従った。

「おや、その様子じゃ北東にある洞窟には行ってきたみたいだねえ」

 開口一番そう言った占い師に、スケイルは、

『……』

 ……なんというか、とてもとても曖昧な表情を浮かべた。期待外れだったのか。

「そうだねえ、アンタはなかなか頭が良さそうだし、ちょっとばかりいい話を教えてあげようかね」

 こちらの反応を待たずに、誰にも言わないようにと念押しの上、占い師はここから北西の方角にある森の奥に隠れ里があると教えてくれた。

「もっとも、ちょいと悪い事やってる連中が集まってるわけだけどねえ」

 そう言った占い師は、ヒッヒッヒと笑った。私は曖昧な笑みでその場をやり過ごし、サーショを出た。

『……行くんですか?』
「何、スケイル。あんた占い信じないの?」
『………』

 生真面目な性質のスケイルはどうだか知らないが、私は悪人住まう隠れ里という響きに冒険心を掻き立て仕方が無いのだ。

『まぁ、ナナシ様が元気になられる分には問題ありませんけどね』

 ぼそっと言ったスケイルは、まるで母親面だった。


【18:00】


「おや、来たね」

 あんたさっきまでサーショにいたのに、という当然の疑問は無視され、占い師はヒッヒッヒと笑いながら自己紹介など始めた。

「あたしの名はオーバ。元の名はもう捨てたよ」
「えっと……私はナナシです」
「名無しさんかい」
「『ナナシ』って名前です!」
「そうかい」

 さして興味は無いようだった。

「ここは純粋に戦う為だけの理力を研究する場所さ。あんたならあたし達の作ったフォースを使いこなせそうだしねえ」

 はぁ……と生返事をする私を残し、オーバさんはさっさと行ってしまった。

「……変な人」
『はあ……では、気を取り直してみて回りましょうか』


 間。〜〜見て回り中〜〜


「高いわ!!!」

 裏手突っ込みの姿勢で固まり、さてこれをどこに叩きつければいいやらと思案するも、良い的は無く、仕方なく降ろした。

『高いですね……』

 スケイルも度肝を抜かれていた。

 結界・反射の二大防御フォースは1500シルバ、単体最強攻撃である衝撃は2300シルバ、自動復活の再生はなんと3500シルバ。
 エルークス薬ですら四苦八苦している私にそこまでの経済力は無い。なまじどのフォースも強力で魅力的であるだけに、値段の高さは少々(かなり)痛かった。

 泣く泣く隠れ里を後にした私は、ひとつの目標を立てた。

「今夜寝るまでに1500×2+2300+3500=8800シルバを稼ぐッ!」

 わー頑張ってくださいねー、と、スケイルの見事な棒読みの応援が、耳に痛かった。


【21:00】


 結局、世の中はそんなに甘くなかった。魔物を倒す程度では8800シルバは遠い事にすぐ気付かされた私は、サーショのベッドに突っ伏して、世の中を呪った。

『まぁまぁナナシ様、先は長いですから』
「そうよ、先は長いのよ!」

 焦っても仕方が無いのだ。うん。

「あ、駄目だ。そろそろ疲れて来た。寝るわね」
『はい、おやすみなさい。今日のナナシ様はいつもより頑張っていたと思いますよ』

 そういえば今までずっと寝すぎだと小言を言われていたっけ。

 意識が眠りに落ちる一瞬前、きっとそれは、行動していなかったら悲しみに押し潰されそうだったからだろうな、と思った。
pass>>


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