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T−1 「噂の男」
最近町に怪しい男がいる、という噂が立っていた。 全身を薄汚れた黒い外衣に包み、寝静まった夜の町を歩き回っている…………。 最初はそんな内容だったが、次第に噂は形を変え、夜に突然ドアを叩いて奇怪な言葉を呟くだとか、家の壁を傷つけるだとか、挙げ句の果てには、人をさらうなどと本当なのか嘘なのかわからないようなものになっていた。 本当に家のドアを叩いたのか、家の壁を傷つけたのか、人をさらったのかはわからないが、そんな風に見えたとか聞いたとかの曖昧なものであったため、人々の噂としては何らかの価値があっても、しかし国からすれば放置すべき小さな町の戯言であった。
噂が立ちだしてから2、3週間ほど経ったある日、町の宿屋に一風変わった男が現れた。 足の付け根まである長い漆黒のコートを着て、さらにフードを被っており、顔は影に隠れてよく分からない。 僅かに見える部分と声から判断して、歳はさほどいっておらず、むしろ若いくらいである。 名をキルとだけ名乗り、受付を済ませると指定の部屋へすぐに引っ込んだ。
黒コートに深く被ったフード。 その場に居合わせた人は、誰もがキルと名乗るその人物を噂と結びつけた。 …………服の色はぴったりだし、服が汚れているというのも夜は辺りが暗いためにどうにでもなる。 もしかしたらあのコートの下に何か隠してるんじゃないか。 そしてあのフード。きっと顔を隠すためだぜ…………噂は前よりも速く広まった。
そのキルという男のほうはというと、その日の昼を過ぎるとどこかへ外出した。 そして帰ってきたのは人々の寝静まった夜中だった。 これは数日続いた。 彼自身噂を知っているかどうかはわからないが、彼が夜遅くに帰ってきているという事実を知った人々は当然ながら、夜な夜な何か怪しいことをしているに違いない、と噂しあった。 そのことについて宿屋の店主に質問する人間もいたが、店主自身キルのことを怪しく思いながらも一応は自分の客であるため外部の質問には誤解がないよう答えていた。 しかし逆にその謎が人々の好奇の目を受けることとなり、キルのことを知る人は増えていった。
また、キルの噂をさらに広げるようなことも一度あった。 珍しく彼が朝方外出したと思うと、その足は町の武器屋に向かったのである。 武器屋に行くということは、武具をそろえるということであるのは言うまでもなく、そういったものを扱う職業柄であるというのが噂に拍車を掛けたのだ。 そもそもこの町をはじめとするほとんどの町では、軍の兵士や傭兵の資格をもっているものくらいしか武器を買うことはできないことになっている。 もちろんそれは例外もあるが、兵士であるならば服装は兵服を着せられるため、町の人たちはキルが傭兵である可能性が高いと思った。 彼は武器屋で剣をじっくりと眺め、ショートブレイドを2本、さらにグランドブレイドを1本購入した。 かなりの買い物である。 ショートブレイドは歩兵用であるため使い手は多くいるが、グランドブレイドとなると刀身は剣の中でも最高の長さであり重量も超級。 腕力がなければ扱うことすらできない代物であるため、購入する人間も数少ない。 しかし彼は楽々とそれらを持ち上げ、片手で担いで宿に帰ったということである。
さて、次に新たな動きを見せたのは宿を借りてから一週間後である。 晴れた昼下がり、その日は部屋に籠もっていたキルに、客人が現れた。 いや、むしろこの場合客といえば語弊が生じることになるのだが、現れたのは国からの使いであった。 近くにいた人間はやはり傭兵だったかと顔を見合わせひそひそとなにか話し合っている。 部屋の奥から現れた、今日もまたフードを被ったキルに、使者が同行を頼むと、すんなりと受け入れ、一旦部屋に戻り武器やら他の荷物やらを担いで再び表に顔を出した。 宿屋の店主にこれ以上部屋を借りるつもりはない旨を短く告げると、使者とともにその場を立ち去った。
◇
キルが連れて行かれたのは、この辺り一帯をおさえ統治するバーン王の城だった。 バーン王国は大陸を統治する最も大きな国家である。 約5世紀前に建国されて以来、様々な事件はあったものの、依然として権威を保っている。 現在では東西南北の地域を4人の有力者に任せ、バーン王自身はさきほどキルがいた最も城に近くに位置する町、サーショを含む中央部を治めていた。 そのため、城までは短時間で行くことが出来、キルが城門を通されたとき、まだ日は落ちていなかった。 使者は門をくぐるとキルに、一応武器を預かっておくことを伝えた。 キルは素直に従い、雑多の荷物をどこからか現れた兵士二人に預け、何も言わずに使者について城に入っていった。
城の内部にずんずんと入ってゆき、階段を3つ4つと上るうちに、やがて質素な扉のついた部屋にたどり着いた。 こちらでしばらくお待ちください。使者はそういうと、ぺこりと頭を下げて視界から消えた。
キルは部屋に入ると辺りを見回した。 赤い絨毯が敷かれたその部屋は、狭くないし広くもない。 また王城内とはいえどそれほど煌びやかでもなく、シンプルな様式と装飾が施されていた。 部屋の中央には丸テーブルが置かれ、それを椅子が取り囲んでいる。 次に、壁に飾ってある槍に近づいて、刃やその柄をじっくりと観察した。 長さは約3メートルほどで、穂先には斧頭、その反対側には鋭利な突起(ピック)が設けられたハルバード型である。 ハルバードには戦い方が少なくとも4つあり、その形状からわかるように「切る」「突く」「突起の鉤爪でひっかける」「鉤爪で叩く」と用途が広い。 この槍の場合斧頭が比較的大きいのでこれを使った戦いがメインを占めるようだ―――― 「…………――――!」 不意に人の気配を感じ、キルは振り返った。 そこには髭を生やした中背の男が立っていた。 少し生え際が後退しており薄くなっているところから、若くはないようで、王冠も被っていないため少なくともバーン王ではない。 キルの記憶だとたしか国王の年齢は30前後であり、かなり若いほうなのである。 「槍に興味があるのか?」 男がキルに近づいた。しかしキルはさっと離れた。 男は驚いた顔をしたが、すぐに微笑した。 「ああ、そうだった。君は用心深いんだったな。失礼、私は大臣のゴーゴルだ。この通り武器も持っていない」 大臣は警戒を解くために衣服の内側を見せた。キルはようやく大臣に近づいた。ゴーゴルは椅子にキルを座らせ、自分も向かい側についた。 ゴーゴル。最近、大臣の位に就いたということはキルの耳に入っている。 そしてその才知も優れているということも聞いていた。 「さて、君についての話を聞いて呼び寄せたわけだが、どういうことかわかるか?」 大臣は手で髭を弄びながらそう言った。しかしキルは黙っているだけだった。 「まあよい。その沈黙は『分かっている』と受け取っておく。……ところでそのフードはいつまでつけているつもりだ? 少々暑苦しくないかね」 しかしキルは答えない。大臣は困ったような顔をするとまた言った。 「とりあえずは、ここではフードはとるように。それが最低限のマナーだ」 そう言われるとやっとのことでキルはフードに手をかけ、素顔を見せた。 黒い髪に、射抜くように鋭く開いた目。そして端整な顔立ち。若い青年の顔がフードから現れた。 大臣は、予想以上に若いと思った。 フードを取る前は漂わせる空気に物々しいものがあったが、それがこの青年から発せられたものだとわかると、妙な感じがした。 「これでよろしいですか。さあ、話の続きをしましょう」 キルはフードをとると凛とした声で急に話し出した。 まるでフードが彼の口のチャックになっているようだった。 「ふむ…………今回君と契約するわけだが、どんな内容かは分かるか?」 「一兵士としての雇用では?」 「もちろんそれもある。仮にも戦士として雇うなら、表面上兵士としての義務を負ってもらわなければならぬ。だが……それとはまた別に、頼みたい特別の任務があるのだ」 大臣は眉間に深く刻まれた皺をよりいっそう深くした。 雇い主がこういう顔をするとき、だいたいが厄介な仕事であるということをキルは経験をもって学んでいた。 だが、厄介な仕事は金になるので、基本的にキルが断ることはない。 その上これは国家直々の仕事である。その分見返りは倍以上になるだろう。 しかし報酬の大小以前に、難しいことも、正体を明らかにしてみれば意外と簡単なものだとキルは考えていた。 「その任務とはなんでしょう」 「これは国としての恥部なのだが…………実をいえば人捜しなのだ」 キルは少し拍子が抜けた気がした。 だが、それもほんの一瞬であり、すぐに「恥部」というのに引っかかった。 「その恥部とは何ですか」 「うむ…………それがな」 急に声が小さくなる。 「国王が行方不明なのだ…………」 情けなさそうに大臣は言った。 王が行方不明…………なるほど、たしかにそれは「恥部」である。 この国を治める君主の失踪というのは、およそ世間に知れ渡ってしまっては困ることに違いない。 しかしながら、一体何故その王がいなくなるのかがキルには理解できない。 絶対的な地位を得た王が突然その立場を捨ててしまうとは考えづらい。 捨てるにしても、よほど王に欲がないか、なにか外部からの要因があったか…………。 「王様はどのような格好を?」 「おそらくは君のようにコートを着ているだろう。色は紺色だ。国王がいなくなった後に、一着分が消えているからな。身長は君より少し高い。あと…………腕輪をしている」 「どんな腕輪ですか」 「赤い宝石が中央に埋め込まれた腕輪だ」 そして、それ以上は思いつかない、と大臣は申し訳なさそうに言った。 どうやらヒントになりそうなのはコートと腕輪くらいなようだ。 もしも王が町中にいるとすればキルのように顔を隠しているだろう。 しかしその確率はかなり低いとキルは考えた。 町中は目立ちすぎるのだ。 キルは真夜中に人知れずサーショの町を歩き回り、その全体構造の把握を試みたことが何度かあるが、それでも時折住民に見られたりもしている。 サーショで立っていた噂はこれがもとであり、そのことはキル自身知っていた(内容がエスカレートするとまでは思わなかったが)。 そのために王が姿を隠して町を歩き回ろうものなら比較的容易にその手の情報を得ることができる。 そしてこの大臣も兵士を使って(もちろん王を捜すということは伏せて)情報を収集しようとしただろう。 そうでなければわざわざキルに頼む理由がない。 だがこれだけしか手がかりがないというのは、町にいる可能性が低いということに他ならない。 「報酬は高く積むつもりだ」 大臣は言った。 「任務が遂行できれば一生抱えてやってもよいぞ」 「それはお断りします」 キルはすかさず拒否した。大臣は不思議そうに首をかしげた。 「む…………なぜだ? 定職はないと聞いているが、生活の安定が第一ではないのか」 「長く飼われるのは苦手でしてね」キルはそそくさと席を立った。 「そうか…………あくまで野良がいいと? 面白いな、君は。まあいい、期待しているぞ」 キルは部屋を出た。
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